2015年9月19日土曜日

「江戸の情報」が、デジタル拡大画像により読み取れ人を等身大に拡大すれば、さながら江戸の町並に紛れ込んだような迫力がある。国安の「日本橋魚市繁栄図」も細かく見ていくと寿司屋の起源も見えてくる。


今日は浮世絵コードは置いておいて、ズームしてみる江戸庶民の姿。先日は浮世絵コードをかいたが、浮世絵は大判(おおばん) でも大奉書の縦2つ切り。もっとも一般的なサイズで縦39cm×横26.5cmと小さくて一般的に浮世絵の展覧会ではズームしてみることは難しい。
国安の描いた「日本橋魚市繁栄図」も細かく見ていくと当時の庶民の生活が見えてくる。印籠を着けて巨大なマグロを担ぐ二人の姿、右側にはたらいの中に大きな蟹が見える。小屋の中にはマグロをさくに切る調理人が見える。世界の寿司のオリジンだ。

































しかし近年専門家でさえ気づかなかったさまざまな「江戸の情報」が、デジタル拡大画像により読み取れズーム・アップしても、人を等身大に拡大すれば、さながら江戸の町並に紛れ込んだような迫力がある。魚河岸商人たちは、いなせで気風のよさが自慢。

「いなせ」は、出世魚のボラの未成魚のイナの背を意味するが、日本橘魚河岸で働く若衆たちの髭が似ていたことから、“威勢のよさ”という意味に転じて使われるようになった。
































日本橋には人や荷物がひしめく、当時の江戸は半分が侍、あとの半分が庶民だった。マグロの赤身は下々の食べ物。偉い人は白身の魚。誰もがマグロを食べるようになったのは戦後のことだ。江戸時代は寿司はファーストフードであり現在の寿司の原点だ。
































上の図の左上には富士山が見える。お城があるところが今の大手町、その右には日本橋三越の位置が解る。右にある寿司屋の暖簾の向こうにカウンターで食べる人も見える。真ん中一番奥にいるのが仲買い、アワビやたこ伊勢エビなど当時の人が何を食べていたのも解る。なかなか遊べる。


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