2020年9月27日日曜日

この短編映画は、絶妙にシュールなシーンを通して2020年の危機を浮き彫りにしている。

 
落ち着いた音楽を舞台にしたニコラス・リヒテルの短編映画「アラフィン…」 “à la fin…” は、2020年にクライマックスを迎える地球上の危機を非常にエッジに描いたものです。繊細なアニメーションは、COVID-19、森林火災への恐怖を感じさせながら抑制された淡い色合いのシーンが流れる。地球全体で荒れ狂う地球の温暖化の結果、そしてテクノロジーの果てしない進化への怖れ。
  

à la fin… from nicolas lichtle on Vimeo.

「詩、不条理、そして時にはシュールレアリスムが染み込んだ小さな瞬間の連続を通して上演されます...」とLichtleは書いている。 
匿名のキャラクターの顔の多くは、植物、デジタルデバイス、または布製マスクによって隠されており、現代の生活を批判するありふれたタスクと奇妙なタスクの両方を表現する。男がトレッドミルで走り、誰かが近くに立って消毒剤を飲ませます。ボウリングボールの頭を持った人物が直立したピンでメガホンを通して叫び、2人の女性が遠くの地球に向かって喜んで手を振っているシュールぶり。      
 

2020年9月26日土曜日

[コンセプター坂井直樹の近未来ラボ] 第1回 廣田周作さん回の本編を無料開放

[コンセプター坂井直樹の近未来ラボ] 第1回 廣田周作さん回の本編を無料開放いたしました。 どなたでも見ることが出来ます。テーマは「イノベーションのマインドセット」。 対談の雰囲気、感じてもらえると嬉しいです。 

















[廣田さんの発言] 私は日本のマーケティングの現状に、いくつかの問題点を感じています。
そのひとつが、Techへの偏りです。DXの進展によりTech領域が広がれば広がるほど、日本企業のカルチャー領域への理解不足が心配になります。たとえばグローバルで支持されているブランドをみると、アメリカのヒップホップカルチャーの強い影響を受けているものが多くありますが、そうしたカルチャーを積極的に理解しリスペクトするマーケッターは少ないように感じます。NIKEもTiktokも、みんなカルチャーへの理解があるのです。最近のできごとに重ねていうなら、Black Lives Matterの運動に呼応したコミュニケーションをしようとしても、文化的・社会的な背景を知らなくては、うわべだけのメッセージであることが透けて見えて、真の共感を得ることはできないでしょう。

文化的・社会的な領域の理解は、2020年に全世界の消費者の40%を占め(英国Stylus Media Group調べ)、有力な購買層となりつつあるZ世代へのアプローチにおいても大切といえます。Z世代は、環境活動家グレタ・トゥーンベリに象徴されるように、社会的イシューに非常に敏感な世代だからです。(廣田周作)
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2020年9月23日水曜日

デジタルが社会の隅々まで浸透した「アフターデジタル」社会を描いた本「アフターデジタル2 UXと自由」がアマゾンの首位に立った。

”オフラインのない時代に生き残る” ベストセラーランキング 1位- 70位本 - 1位ビジネスとIT - 1位コンピュータサイエンス (本) - 1位情報社会 表紙にUXと書かれた本がAmazonで一位になるということは、今まで無かっただろう。一般の読者のニーズが拡張しているのか?一般の読者の知識レベルが高いのか?専門書のたぐいに入る書籍が同じ著者で二回続けてAmazonで一位を何度も取るとは驚きだ。

ベストセラーランキング -1位に何度もなった「アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る」の続編「アフターデジタル2 UXと自由」これもベストセラー1位だ。この状況を分析してみよう。 日本はその社会に向けてゆっくりと進んでいた事を危惧していたが、コロナ禍で状況は一変した。一見速度を上げてアフターデジタル社会に突き進んでいるように見える。そして多くの日本企業は「DX(デジタルトランスフォーメーション)戦略」で活路を見いだそうとしている。

しかし実はその立脚点が危ういケースは少なくない。導入したものの社員のスキルが追いつかない。経営者が本質的にDXを理解していない、あるいは社員のデジタルスキルが欠落しているので外部のコンサル会社への依存が大きく、オペレーション出来る人材が少ないなど問題点満載にも見える。































著者の藤井さんは、問題はすべてがオンラインになるという前提に立っていない。と言う。本書ではアフターデジタル先進国の中国のアリババやテンセントといった巨大デジタル企業の「戦略」、表面的な取り組みの奥にある「本質」に迫っている。事実として、アフターデジタル社会では産業構造のヒエラルキーがひっくり返ってしまう。

これは予測ではなく、実際の中国市場がそうなっている。 こうした世界が広がれば、日本の経済を支えてきた製造業は最下層に位置づけられてしまう。アフターデジタル社会になると、マーケットのルールが変わると考えたほうがいい。キーワードは表紙にもある「UX」だ。 そして、アフターデジタル社会において成功企業が共通で持っている思考法を「OMO」(Online Merges with Offline)と呼ぶ。

オンラインとオフラインが溶け込んでオフラインが消えてゆくということだ。アリババのスーパーマーケットのフーマーマーケットがその典型だ。なぜか日本ではデジタルマーケティングは意外と取り込むことは早かった。しかし、今後は企業全体が「DX(デジタルトランスフォーメーション)」により可能な限りデジタル化が進むだろう。アフターデジタルでは、リアルがなくなるのではなく、リアルの役割が大きく変わると言われている。

トヨタの様な最強のメーカーでもこのままでは、サービサーの下請けに成り下がる可能性がある。なぜトヨタがソフトウエアファーストを標榜して変わろうとしているのかがよくわかる本だ。 これからのビジネスは商品を売ったら終わりではなく、平安保険のように一生涯そのお客様とつきあっていく”バリュージャーニー”型ビジネスにシフトしていくことがこの本からよく理解できると思う。

アフターデジタル型産業構造は、に漏斗(ファネル)の形をしていて、マーケティングファネルと呼ばれている。 なぜこうしたファネル型のモデルが用いられるかというと、ファネルの各段階(認知→興味・関心→比較・検討→購入・申込という段階)に進むたびに見込み客が「脱落」する傾向がある ファネルの上から1,決済を軸に経済圏を持つプラットフォーマー →2,ユーザの生活を向上する体験を生むサービサー→3,メーカーの3レイヤーになる。

一方新しいバリュージャーニー型はすべての顧客接点を台の上に統合的にまとめ、デジタル接点から店舗接点からリアル接点まで顧客がずっと乗り続け、企業がずっと寄り添う。一番わかりやすい事例はAppleや平安保険だろう。 

アフターデジタル型産業ヒエラルキーを見たとき、メーカーの持つ選択肢としては大きく以下の3つのパターンがある。 1,メーカーの位置で、良いモノを作り続けることでブランドを研ぎ澄ます。 2,サービサー化を目指し、 顧客接点を高頻度に獲得 しながらLTV(Life Time Value/ライフタイムバリュー)型に転換 3,サービサー勃興時代を 見据え、toBプラット フォーマーのレイヤーを 取る さあ、どれを選択するのか?

この段階での意思決定次第で企業の未来は大きく変わる。今回のパンデミックでわかったことは、未だFAXで作業を行う保健所や、区役所での特別定額給付金の支払いの複雑さで、日本が以下にIT後進国であることが露呈した。大丈夫か日本!    

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 藤井 保文 株式会社ビービット東アジア営業責任者。1984年生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府修士課程修了。2011年ビービットにコンサルタントとして入社。2014年に台北支社、2017年から上海支社に勤務し、現在は現地の日系クライアントに対し、UX志向のデジタルトランスフォーメーションを支援する「エクスペリエンス・デザイン・コンサルティング」を行っている。2018年9月からはニューズピックスにおいて、中国ビジネスに関するプロピッカーを務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 多くの日本企業は「DX(デジタルトランスフォーメーション)戦略」も加速していますが、まだすべてがオンラインになるという理解が浅く前提に立っていないのです。なぜ「DX(デジタルトランスフォーメーション)」をやらなければならないのか?と言うことを理解していない経営者も多いように思う。加えて社内にITテクノロジーに強い社員がいないことも今後の課題だろう。https://amzn.to/360IdT0

 

2020年9月20日日曜日

最近DXがバズワードのようだ。DXとは何か?

 ITやAIなどのデジタル技術を使ってビジネスモデルを変革する「デジタルトランスフォーメーション(DX)」 しかし、全ての国民に一律10万円を配るという異例の公的支援「特別定額給付金」は、新型コロナウイルスの経済対策としていかに早く届けるかが課題だったが、政府が推奨したオンライン申請は自治体の混乱を招き、かえって支給が遅れる原因になった。

混乱の原因は、台帳やFAXというDXを実装していないビジネスモデルを変革していないお役所の問題が露呈した。しかも事務コストは1500億円。ネットを有効に使いDXを導入していれば、このコストは圧倒的に下がるはずだ。と身近な問題を考えればDXは理解しやすい。 

エリック・ストルターマン氏はDXをこう定義した。「全ての人々の暮らしをデジタル技術で変革していくこと」。あらゆるものがデジタル技術と結びつき、その時点で思いもつかなかったことができるようになる。そんなデジタル社会の到来をストルターマン氏はDXという言葉で予言したのだ。








DXの定義をまとめると「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と、より明確かつ具体的に示している。 

人々の暮らしのほぼ全ての領域が、何らかのデジタルフォーマットへと転換され、デジタル技術がますます影響を与えるようになる。いつの間にか暮らしが変わった。DXとはそういうものだ。スマートフォンを片手に、人々はいつの間にかAIを使っている。

CDがデジタル配信に置き換わったように、これまであった「モノ」がデジタル化によってなくなってしまう。それを実現するツールがAI(人工知能)やクラウドだと考えればいいのではないだろうか。

「スカイプ」や「Zoom」などの会議ツールが生まれ、10年前は考えられなかったスタイルで授業できる。これはDXの良いところだ。 空港に行った時、顔認証だけでゲートを越えられる。DXは「デジタル格差」を促したとの指摘もある。人々にはデジタルリテラシーをもってもらうことが重要だ。大事なのは人々も同じようにDXへのリテラシーを深めていくことだ。 








最もDXが進んでいると思う企業はグーグルと米アマゾン・ドット・コムだ。2社はDXについて理解と実行がうまく進んでいるからこそ、こうした大きなパワーを手にし、成功できた。 アフターデジタル先進国に注目し、特に中国のアリババやテンセントといった巨大デジタル企業の「戦略」アフターデジタル社会では産業構造がひっくり返ってしまう。

これは予測ではなく、実際の中国市場がそうなっており、こうした世界が広がれば、日本のお家芸ともいえる製造業は最下層に位置づけられてしまう。 それぞれの地域でDXの様相は異なる。

例えばアフリカは電話網のインフラを導入せずに、一気にスマホの仕組みを取り入れてしまったという事例があった。トップがDXについて正確な情報を得た上で方法を考え、戦略を社員と共有し、顧客にリーチすること。AIを導入すればいいなど、一つのソリューションで解決するのは簡単だが、問題はそういう訳ではない。 

興味があるのは、technology disappearingの世界です。使われる場面が見えなくなっていく。例えば、今はスマホの画面を指でなぞるだけで、いろいろな指示を出すことができる。でも、将来はこんなことも必要にならない。住宅やビル、自動車などにスマホのような高機能端末が入り込み、話しかけたり、触ったりするだけで、ある機能を実現する。そのとき、私たちはそのテクノロジーの存在をいちいち気にすることもない。

テクノロジーを知らず知らずのうちに使いながら、より良い生活を送れるようになるのです。アフターデジタル社会になると、市場のルールが変わると考えたほうがいい。キーワードは「UX」。そして、アフターデジタル社会において成功企業が共通で持っている思考法を「OMO」(Online Merges with Offline)と呼びます。社会の変革は避けようがないなら、こうした新たなルールをいち早く学び、自社の立ち位置を決めて戦略を練らねば負ける。 

 参照 http://kairou38.

2020年9月17日木曜日

「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」 第5回定例対談のゲストは、為末大学学長であり元陸上選手である為末大さんです!

「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」@Daijapan
第5回定例対談のゲストは、為末大学学長であり元陸上選手である為末大さんです!
たった5才で周りの友人よりも遙かに足が速いことに気がついたと聞きました。やはり身体的な才能というのは圧倒的なものですね。またとてもプレゼンテーション能力の高い知的なアスリートです。ちなみに来年のオリンピックは断捨離してでもやるべきだという主張は納得できました。
https://lounge.dmm.com/content/8068/














対談ではこのようなことをお話しいただきました。
・ご自身の足が速いと気がついた瞬間は?
・オリンピックは何のために行うのか
・メダル獲得の価値
・東京オリンピック開催の課題と糸口
・アスリートの生き方
・eスポーツについて
・部活動について

為末さんのYouTubeも面白いので是非ご覧ください。
走り方やストレッチ、減量方法など解説されています。
普段ランニングされている方にもお勧めです。
プロのお話しが無料で聞ける時代は有り難いですね。

▼為末大学
https://www.youtube.com/c/TamesueAcademy
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2020年9月16日水曜日

美しい貴重な宝石が芸術家の手によると腐敗した醜い果実をデザインしているのが気に入った。


「Bad Grapes」(2020年)、アメジスト、アベンチュリン、瑪瑙、ガーネット、黄鉄鉱、ゾイサイトのルビー、テクタイト、タイガーアイ、ターコイズ、蛇紋岩、黒曜石、ブラックストーン、インドのユナカイト、ラブラドライト、シエラ瑪瑙、赤い瑪瑙、黒い瑪瑙、蛇紋岩、石英、大理石、アマゾナイト、流紋岩、方解石、ダルメーションジャスパー、ガラス、鋼とステンレス鋼のピン、銅管、銅継手、ポリスチレン。
59.5 x 90 x 54インチ。マーテン・エルダーとロサンゼルスのキャサリン・ライアンとフランソワ・ゲバリーの画像提供

ニューヨークを拠点とするアーティスト、キャサリーンライアンは、大規模な彫刻のインスピレーションを、チェリー果樹園、ブドウ園、地殻の下の鉱山などの自然の源から得ている。彼女は、しぼんだブドウの束の形であれ、菌類が点在している2つのサクランボの形であれ、カビで覆われているように見える果物の断片の造形で有名だ。

ライアンは、アメジスト、クオーツ、大理石などの貴重な半貴石を通してカビの生えた物質をデザインする。材料の耐久性と寿命は、それらが表す減衰とは正反対だ。最も貴重で光沢のある石が果物の一部を覆っているが、ライアンはシンプルなガラスビーズを使用してまだしなやかな部分を作り、チェリーの鮮やかな赤い肉やレモンの黄色い皮のポケットを形成している。

Karmaからは、アーティストの腐った彫刻のバーチャルエキシビションを見ることができ、幅は90インチにも及ぶ場合がある。 InstagramでRyanをフォローして、美しさと醜さを探る彼女の作品をさらにご覧ください。















「Bad Cherries(BFF)」(2020年)、瑪瑙、アマゾナイト、アクアマリン、アベンチュリン、アメジスト、アンジェライト、角礫岩ジャスパー、ガーネット、ジャスパー、ラブラドライト、マグネサイト、ムーンストーン、石英、赤いアベンチュリン、流紋岩、蛇紋岩、雪石英、スモーキークォーツ、斑点石英、ユナカイト、タイガーアイ、淡水真珠、ガラス、コーティングされたポリスチレンのスチールピン、釣り竿、26×12×39インチ。画像提供:キャサリンライアン、カルマ、ニューヨーク















「Bad Grapes」(2020年)、アメジスト、アベンチュリン、瑪瑙、ガーネット、黄鉄鉱、ゾイサイトのルビー、テクタイト、タイガーアイ、ターコイズ、蛇紋岩、黒曜石、ブラックストーン、インドのユナカイト、ラブラドライト、シエラ瑪瑙、赤い瑪瑙、黒い瑪瑙、蛇紋岩、石英、大理石、アマゾナイト、流紋岩、方解石、ダルメーションジャスパー、ガラス、鋼とステンレス鋼のピン、銅管、銅継手、ポリスチレン。
 59.5 x 90 x 54インチ。マーテン・エルダーによるロサンゼルスのキャサリン・ライアンとフランソワ・ゲバリーの画像提供

























「Bad Cherries(BFF)」(2020年)、瑪瑙、アマゾナイト、アクアマリン、アベンチュリン、アメジスト、アンジェライト、角礫岩ジャスパー、ガーネット、ジャスパー、ラブラドライト、マグネサイト、ムーンストーン、石英、赤いアベンチュリン、流紋岩、蛇紋岩、雪石英、スモーキークォーツ、斑点石英、ユナカイト、タイガーアイ、淡水真珠、ガラス、コーティングされたポリスチレンのスチールピン、釣り竿、
26×12×39インチ。画像提供:キャサリンライアン、カルマ、ニューヨーク















Pleasures Known”(2019)、さまざまな半貴石、貝殻、ビーズ、木、鋼、プラスチック、ハードウェア、コーティングされたポリスチレン、鉄のトレーラー。マーテン・エルダーによるロサンゼルスのキャサリン・ライアンとフランソワ・ゲバリーの画像提供















「Bad Grapes」(2020年)、アメジスト、アベンチュリン、瑪瑙、ガーネット、黄鉄鉱、ゾイサイトのルビー、テクタイト、タイガーアイ、ターコイズ、蛇紋岩、黒曜石、ブラックストーン、インドのユナカイト、ラブラドライト、シエラ瑪瑙、赤い瑪瑙、黒い瑪瑙、蛇紋岩、石英、大理石、アマゾナイト、流紋岩、方解石、ダルメーションジャスパー、ガラス、鋼とステンレス鋼のピン、銅管、銅継手、ポリスチレン。
59.5 x 90 x 54インチ。マーテン・エルダーによるロサンゼルスのキャサリン・ライアンとフランソワ・ゲバリーの画像提供
































「Bad Cherries(BFF)」(2020年)、瑪瑙、アマゾナイト、アクアマリン、アベンチュリン、アメジスト、アンジェライト、角礫岩ジャスパー、ガーネット、ジャスパー、ラブラドライト、マグネサイト、ムーンストーン、石英、赤いアベンチュリン、流紋岩、蛇紋岩、雪石英、スモーキークォーツ、斑点石英、ユナカイト、タイガーアイ、淡水真珠、ガラス、コーティングされたポリスチレンのスチールピン、釣り竿、
26×12×39インチ。画像提供:キャサリンライアン、カルマ、ニューヨーク















「Pleasures Known」(2019)、さまざまな半貴石、貝殻、ビーズ、木、鋼、プラスチック、ハードウェア、コーティングされたポリスチレン、鉄のトレーラー。マーテン・エルダーによるロサンゼルスのキャサリン・ライアンとフランソワ・ゲバリーの画像提供
































「Pleasures Known」(2019)、さまざまな半貴石、貝殻、ビーズ、木、鋼、プラスチック、ハードウェア、コーティングされたポリスチレン、鉄のトレーラー。マーテン・エルダーによるロサンゼルスのキャサリン・ライアンとフランソワ・ゲバリーの画像提供


















「Bad Lemon(ペルセフォン)」(2020年)、ターコイズ、蛇紋岩、瑪瑙、スモーキークォーツ、ラブラドライト、タイガーアイ、テクタイト、ゼブラジャスパー、カーネリアン、ガーネット、パイライト、ブラックストーン、マグネサイト、チンハイジェイド、アベンチュリン、イタリアのオニキス、マホガニー黒曜石、バナジナイト、ガラス、コーティングされたポリスチレンのスチールピン、19.5×28.5×18インチ。画像提供:キャサリンライアン、カルマ、ニューヨーク


















「Bad Lemon(タルト)」(2020年)、シトリン、アンバー、瑪瑙、ターコイズ、蛍石、プレナイト、マグネサイト、チンハイジェイド、クオーツ、アメジスト、ガーネット、ラブラドライト、ホワイトリップシェル、サーペンタイン、ゴマジャスパー、ゼブラジャスパー、グレー 長石、大理石、ガラス、コーティングされたポリスチレンのスチールピン、
19×16×17インチ。 画像提供:キャサリンライアン、カルマ、ニューヨーク
https://www.thisiscolossal.com/

2020年9月15日火曜日

「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」 オンラインサロンを開設いたしました。














オンラインサロンを始めました。入会のご案内です。

「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」
オンラインサロンを開設いたしました。

https://lounge.dmm.com/detail/2806/
コンセプター坂井直樹による会員制オンラインサロン。
幅広い分野から坂井の注目する異才ゲストを招いた定例対談をはじめ、「近未来ラジオ」そして「近未来ブログ」が始まりました。
質問も大いに歓迎です。

























リアルな交流の場も様々展開。 激変する世界を逞しく乗り切るためのヒントがあると思います。
第1回:廣田周作   様(Henge Inc. CEO) 
第2回:福田淳    様(Speedy, Inc. 代表取締役社長) 
第3回:猪瀬直樹   様(作家/元東京都知事)
第4回:スプツニ子! 様(アーティスト/東京藝術大学デザイン科准教授)
第5回:為末大    様(為末大学学長/元陸上選手)
第6回:陳暁夏代   様(DIGDOG llc.代表)

第1回定例対談のゲストは、廣田さんとの対談が一部無料公開されました!
https://lounge.dmm.com/content/7589/

第2回定例対談のゲストは、Speedy, Inc. 福田淳様との対談が一部無料公開されました!
https://lounge.dmm.com/content/7642/

第3回定例対談のゲストは、作家であり元東京都知事である猪瀬直樹さんとの対談が一部無料公開されましたhttps://lounge.dmm.com/content/7733/

音声が聞けます。



2020年9月7日月曜日

レスポンシブアートワークでデジタル彫刻がアマゾンの鳥の鳴き声を視覚化

オーストラリアのアーティスト、アンディトーマスは、2016年のアマゾンへの旅でオーディオ録音を行った。アニメーション化された一連のデジタル彫刻を通して三種類の鳥を再現した。以前のプロジェクトの拡張である「ビジュアルサウンドオブアマゾン2」は、鳥の音に対応し破裂するドット、渦巻く霧、および不定形のフラッシュで構成される抽象的なレンダリングだ。

トーマスのプロジェクトの多くはテクノロジーと自然の交差点を探究しており、彼は「コンピューターを進化の超拡張として捉えている」と話している。人間は自然界の生物多様性を変え、それを徐々に過去のエコーのようなデジタル化されたバージョンに置き換えています。自然の美しさと複雑さを表現するデジタルアートを作成するというアイデアに魅了されました。この作品が人々にアマゾンの家を呼ぶ多くの驚くべき種類の鳥を研究し、この場所が私たちにとってどれほど壊れやすく重要であるかを思い出させてくれることを願っている。と語っている。

アーティストはまた、「Amazon 2のビジュアルサウンド」をより緊急のコンテキストであると考えている。 「このシリーズは、ブラジルの人々と世界で最も驚くべき森の生態系に捧げられている。アマゾンは世界の肺として知られており、絶え間なく継続的な森林破壊の脅威にさらされている」と、彼はアニメ化されたプロジェクトについて声明で書いている。



2020年8月26日水曜日

生い立ちや若いときの私、そして経歴などを書いてみようと思う。コンセプター坂井直樹


そろそろ「私」を出すのも良いかと思い立ち。すこし生い立ちや若いときの私、そして経歴などを書いてみようと思います。知っているようで知らない坂井直樹もあるかもしれません。

コンセプター坂井直樹

・経歴と業績リスト
(コンセプター/ウォーターデザイン代表)
1947年9月20日:大阪市に生まれ京都市で育つ。
1967年:京都市芸術大学デザイン科入学。
1969年:渡米。サンフランシスコでTattoo Companyを設立。ヒッピー達とTattoo T-shirtを売り、大当たりする。
1971年:京都市芸術大学デザイン科四年終了。国産初のロックフェスティバル「TOO MUCH」を木村英輝と共にプロデユース
1973年:帰国後、ウォータースタジオを設立。
1987年:日産「Be-1」を世に出し大ヒット。
1988年:オリンパス「O-Product」の限定販売に予約が殺到。
1989年:日産「PAO」を世に出し大ヒット。
1990年:バルセロナで「Water Studio展」を開催、好評を得る。
1991年:日産「figaro」を世に出し大ヒット。
1992年:日産「Rasheen」を世に出し大ヒット。
1995年:SF_MoMAの企画展に「O-Product」を招待出品、その後永久保存へ。
1995年:NTTとNECで情報通信関連のプロダクツとコンテンツ開発を多数手がける。
2000年:米国NIKE本社で行われたCreative Design Conference にゲストとして招待され、300人のデザイナーにWater Studioのプロダクツと、20年来独自に開発してきたマーケティング手法である    
Emotional_Program (EP)について講演。
2001年9月:インターネット・マーケティングを行うブランドデータバンク株式会社を設立。
2004年7月:デザイン業務を行う株式会社ウォーターデザインを設立。
2005年11月:au design projectにおいてau_KDDIからコンセプトケータイHEXAGON+MACHINAを発表
2006年11月:au_KDDIからコンセプトケータイCYPRES/VOLS/KAOSを発表
2007年1月:アルフレックスより日本人の美意識を呼びおこす「AUN(あうん)」シリーズを3名のデザイナーと共に発表。
2008年4月:慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにて大学院政策・メディア研究科教授。(2013年3月退任)
2009年4月:京都造形芸2010年4月:慶應義塾大学SFC_XD展開催。
2011年4月:慶應義塾大学医学部兼担教授
2011年7月:「NS_CONCEPT 坂井直樹 展」を開催。坂井直樹が立ち上げたプロダクトブランド「NS_watch」自主企画展を開催しました。
2013年3月:慶應義塾大学教授退任
2013年4月:成蹊大学経済学部客員教授就任
2013年5月:NSのシリーズ作品第二弾[NS_髑髏伊万里]ルーチェTOYOKITCHEN STYLE
2014年7月:天王洲のアマナと共同プロジェクトamana_WATERを開始。

京都芸大の私の恩師、木村英輝氏が学生当時の様子から今に至るまでの私の経緯を、彼の眼をとおして書いてくれました。その文章の一部です。彼は私の人生に大きな影響を与えた人物です。
MOJO WESTの前身TOO MUCHの火付け役になった美大生が、あの日産コンセプトカー「Be-1」をデザイン&プロデュースした坂井直樹だ。ロング・ヘアーで茶髪、フリルの付いたシャツ、薄化粧、指にリングが一杯、そしてハードな黒いサングラス、こんな出で立ちの美大生が現れた。美大は(京都市立美術大学、現・芸術大学)公立校、受験の難関を突破してきた画学生ばかり。汚れた作業着が定番だった。50年も昔のことだ。彼はピーコック・ファッション革命の先陣を走っていた。彼こそがその後、「Be-1」(日産の限定車)やSF・MOMA(サンフランシスコ近代美術館)に永久保存されたオリンパスのカメラ「O-PRODUCT」等のデザインで一躍名を馳せる坂井直樹である。

彼は大阪、四条畷駅前のサカイ運送の長男。四条畷とは今東光が言う“河内のヘソ”の様な所。しかも彼は四条畷高校のラグビー部だったという。バリバリの河内野郎と言ってもいい。親父の生家は京都の帯屋、古典を重んじる家系、今も叔母は京都・白梅町で坂井春陽堂という骨董屋を営んでいる。坂井直樹は、ともすれば軽薄だと誤解されやすい身なりでファッション系の仕事をしてきた割りには大胆で男っぽいのは、育ちは河内、血は京都という生い立ちのせいかもしれない。荒々しい河内の根性と京の雅な感性による彼の発想の根っこが垣間見える。

僕はコンセプターと名乗って三〇年が経過した。コンセプトワークとインサイトの関係は極めて親密だ。例えばBe-1というコンセプトは、ビルから眺めていた当時の首都高の自動車がほぼ全部四角いという気づきから始まった。さらにファッション関係者が多い代官山の裏通りを歩いてみると、ミニクーパー、スバル360、ホンダS600、トヨタスポーツ800などが駐車していた。そういえば、自分の周囲の高感度の人たちも、同様に主に六〇年代の丸みを帯びた中古車に乗っている。結果、角ばったデザインの枠からはみ出す、レトロな丸っこいデザインにチャンスがあるというインサイトが生まれた。インサイトに行き着くには「関連づけること」が大事とされているが、今思うと僕がやっていたことは、関連づけることそのものであり、それらを統合することで一気にカーデザインの解決の見通しを立てた訳だ。

ここで工業デザインとファッションデザインの違いを説明する。ファッションデザインは、四〇年代や五〇年代などファッション独特の気分でブームやトレンドが繰り返す。正確に言えば、振り子のよう全く同じ場所を往復するのではなく、らせん階段のように少しづつ高さを変えながら、行ったり戻ったりする。つまり過去にヒントを得ることがファッションデザインの一手法として定着している。しかし、工業デザインは常に未来を向いていて新しいデザインが評価される。さらに過去にデザインのヒントを求めることは敗北だとされる。今でもこういう考えがマジョリティーだ。つまりレトロフューチャーは、正統派のバウハウスデザインの信者からは邪道だとなる。だからこそ、あの時代の日産にパイク(トンがった)というサブカル革命が起こったとされたのだ。

PAOの場合は、当時LAでオープンしたてのバナナリパブリックの店舗デザインからのインスピレーションだ。その当時のバナナリパブリックは店内に壊れた四輪駆動車ジープを含む様々なディスプレイで冒険気分を盛り上げていた。つまりPAOのインサイトは「冒険気分」であり冒険では無い。ハイファッションで言えば、ハンティングワールドの世界観にも近い。このようにファッションの業界ではショーや店舗で世界観を訴求するが、ここには必ずインサイトが巧みに隠されている。ちなみにルイヴィトンのインサイトは、旅と伝統だ。ポスターやCMをよく見ると船や気球や自動車が登場していることがわかる。Be-1もPAOも、ファッションデザインとカーデザインの関連づけでもあったのだ。

2020年8月24日月曜日

モニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、”生命維持に必要なのだ”」と断言

私の周辺にいる多くのアーティストがアーティストビザを収得してベルリンに滞在している。物価も比較的安く、60年代のSFのようなヒッピーカルチャー的な町らしい。まあその程度の情報しか無かったのだがモニカ・グリュッタース文化相の発言には驚かされた。ドイツ政府のモニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、”生命維持に必要なのだ”」と断言したのだ。














アートを癒やしとしか捉えていない我が国との差は、あまりにも大きい。そして文化的偏差値の高い国だ。しかもCOVID-19の最中にもかかわらず、非常に速く支給されたそうだ。

ドイツの救済パッケージでとくに注目を集めているのが、フリーランサーや芸術家への支援だ。グリュッタース文化相は大幅なサポートを約束した。ドイツには約300万人の個人または自営の小規模起業家がおり、その半分近くが文化セクターで働いている。

昨今続くイベントのキャンセルは8万件以上にのぼり、引き起こされた損害は12.5億ユーロと推定されている。フリーランスやアーティストへの経済的支援を求める嘆願書への署名運動が今月から始まっていたが、このほど発表された財政パッケージには個人・自営業者向けの支援として英米と比べてもかなりの規模の最大500億ユーロが含まれている。















これは、イングランドの芸術評議会が24日に発表した1億6千万ポンドの支援や、ニューヨークのメトロポリタン美術館が政府に求めている米国の美術館への40億ドルの救済措置と比べても、かなりの規模であることがわかる。

3部構成のパッケージは助成金やローンの形で提供されるが、芸術関連の個人や組織に加えて、資金は新聞などのメディアも対象となる。ローンの申請はすでに開始されている。個人の自営業者(従業員のいない自営業者)、個人のアーティスト、および最大5人の従業員を持つ中小企業は3か月間、最大9,000ユーロの一括払いを受け取ることができる。

従業員最大10人までの場合、3か月間15,000ユーロまでの一括払いを受け取ることができる。「助成金は一度取得すれば返済する必要はない」とグリュッタースは強調。連邦政府の援助パッケージにより、音楽家も画家も作家も、映画・音楽関係者や書店・ギャラリー・出版社も、誰もが生き残ることを望んでいると述べた。




2020年8月14日金曜日

あれほど強かった日本のメーカーがなぜ弱くなったのか?時系列で弱体化のプロセスを検証してみた。

総付加価値額が450兆円ともされる自動車産業の構造が変わり始めた。GAFAやEVスタートアップ、ソニーなどが新たな主役になろうと名乗りを上げ、独ボッシュや独コンチネンタルなどメガサプライヤーはピラミッドの頂点を狙う。

CASE(Connected(コネクティッド)、Autonomous/Automated(自動化)、Shared(シェアリング)、Electric(電動化)といった「CASE」と呼ばれる新しい領域で技術革新が進む中、クルマの概念は大きく変わろうとしている)の波がもたらすのは、スマートフォン業界のような水平分業型へのシフトだ。トヨタ自動車のような巨大メーカーも自己革新なくして生き残れない。平成の30年間で失われた産業を総括すれば、未来への戦略が見えてくるのではないか?

























小松左京が書いた「日本沈没」では無いが、なぜあれほど強かった日本のメーカーがなぜ弱くなったのかと聞かれることが多くなった。時系列で弱体化のプロセスを検証してみた。電機と電子(自動車と家電)の時代から1990年(平成2年)プロダクトはコンピュータの時代を迎える。パーソナルコンピュータ(ハードウエアとエレクトロニクス)に今後日本の弱点となるソフトウエアが加わわった。














2000年インターネットの時代には(ハードウエアとエレクトロニクスとソフトウエア)に加えてネットワークとウエブサービスが加わる。つまり日本の弱点領域は(ソフトウエアとネットワークとウエブサービス)に増えた。

2010年スマートフォン(ハードウエアとエレクトロニクスの主体はスマホンに変わった)(ソフトウエアとネットワークとウエブサービス)もスマホアプリが加わる。そして現在ハードウエアとエレクトロニクスはIoTデバイスやロボットが主役になり、ソフトウエアとネットワークとサービスに加え(データとAI)が加わり新規分野で産業競争力の強さを失っていく。

総じて言えば日本は機械には強いが1990年以降不得意領域(ソフトウエアとネットワークとウエブサービスと)が広がり競争力を失っていった。そして2019年(令和元年)「主要商品・サービスシェア調査」で、中国は電子部材など前年より2品目多い12品目でトップシェアを獲得した。日本を逆転し、国・地域別で2位になった。このうち中国勢は、スマートフォン向けの中小型液晶パネルと電気自動車などにも使うリチウムイオン電池向け絶縁体で、いずれもこれからの成長産業分野で日本企業から首位を奪った。


2020年8月10日月曜日

「人は遊ぶ存在である」と述べたのはホイジンガだが、それを実践している人がスーパービジネスマンの福田淳さん。

オンラインサロン「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」よりSpeedy, Inc. 代表取締役社長 福田淳様との対談が一部無料公開されました!
https://lounge.dmm.com/content/7642/ 
遊びと仕事の達人福田淳さん、是非ご覧ください。

福田淳は仕事や遊びを自らの五感を通して情報をインプットし、常に自分自身をアップデートし続ける本能を持っている。ビジネスマンでありクリエイターだ。インプットした情報は右脳も左脳も活用し編集しアウトプットする。彼にとっては、すべてが自らの身体を使った体験であり、これからも激変する時代には彼の反射神経がすべてだ。綿密に組まれた五カ年計画など、リーマンや、COVID-19で体験したように一挙に崩れ去る。その場その時に起こる変化に知的身体能力を使って柔軟にサバイブしていくスーパービジネスマンの登場だ。

「人は遊ぶ存在である」と述べたのはホイジンガだが、遊びをすべて肯定的に表現しているのが面白い。福田さんにとっては遊びも仕事も心を満足させることで同じである。 遊びとは、知能を有する動物が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。

基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。また中国古代の哲人荘周の言行録である『莊子』には「遊」という字が106回使用されており、中国思想史の上で「遊び」という概念は『莊子』と密接な関係を持っている。

『莊子』では、人間の心と世界(道)を結びつけて、何物にも囚われれない主体的で自由な心の在り方を「遊び」と表現した。人間の文化はすべて「遊びの精神」から生まれた、あるいは、あらゆる人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたものであると主張した。 
沖縄の海で遊ぶ福田さん





























ホイジンガは、人間を「ホモ・ルーデンス」(遊ぶひと、遊戯人)と呼び、遊びこそが他の動物と人間とを分かつものであり、政治、法律、宗教、学問、スポーツなど、人間の文化はすべて「遊びの精神」から生まれた、あるいは、あらゆる人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたものであると主張した。

他の高度な知能を有する動物に比べて、ヒトは特に遊びが多様化・複雑化しており、生物として成熟した後も遊びを多く行ない、生存にはまったく不要と思われるような行動も多く見受けられる。これを他の動物ないし生物との区別と捉える考えがある。遊びは大きな文化として確立しており、また商品の売り手にとっても市場を左右する要因としても重要である。 

遊びは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす。ただし、それに加わらない他者にとってその行動がどう作用するかは問わない。これらすべてwikipediaから選んだが、なかなかさえている。  
▼福田さんの新刊はこちら 「パラダイムシフトできてる? : ポストコロナ時代へ 」 https://www.amazon.co.jp/dp/B0881BP4N3

2020年8月9日日曜日

『フォートナイト』のゲーム内で開かれた米津玄師のスペシャルイベントはデジタルエンターテイメントの可能性を大きく広げた。

8月7日、バトルロイヤルゲーム『フォートナイト(FORTNITE)』のゲーム内で、米津玄師のスペシャルイベントが開催された。 米津玄師が『フォートナイト』に登場  米津の2年半ぶりとなる新アルバム『STRAY SHEEP』の発売に合わせた今回のイベントで、羊のかぶりものをつけた米津は『迷える羊』『感電』『砂の惑星』『パプリカ』『Lemon』の5曲を『フォートナイト』「パーティロイヤル」モード内のメインステージで披露した。 ゲーム世界に没入するとライブそのものだ。 

途中にMCのコーナーがあり、この語りが良い。米津は「今回このライブに至るまでにいくつかの大きな出来事がありました」と切り出し、新型コロナウイルスによるライブツアー延期、そして中止となったことが「もっとも大きなひとつです」とコメント。  

さらに「待ってくれている人を残してバラバラになって、捨てざるを得なかったライブツアーに変わるものを探した結果、実験的にこういうカタチでライブをやってみようと、そういう決断をするに至りました」と、ライブツアーが開催できない無念や待っているファンのことを想って、今回の新たな試みに至ったことを明かした。













新型コロナウイルスによるライブツアー延期は多くのアーティストは壊滅的な被害を被ったが、 米津玄師はポジティブな可能性を見つけた。それはデジタルの可能性を広げ、ZOOM使用のライブを遙かに凌駕した。













そして「未曾有の出来事を前に私のような音楽家にできることはそう多くはありません」「変わっていく時代の中でより新しく、それでいて美しい一瞬をみんなと共に過ごしていたい……そういう想いをいだきながら、今ここに立っています」と続け、来場したゲーム内のファンに感謝を述べた。






2020年8月7日金曜日

オンラインサロン 「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」より廣田さんとの対談が一部無料公開されました!

人生で15冊の本を出版した。15年ぶりに書籍「好奇心とイノベーション」を出版した。また現在オンラインサロン 「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」のために毎週何本か収録している。若い人は知らないと思うが、現在40代50代の方はリアルタイムで私の30年前のTV出演をご覧になっている方もいると思う。
「東京ソフトウォーズ」向井亜紀子+山名清隆+石井苗子
















日テレ「11PM」テレビ朝日「東京ソフトウォーズ」日テレ「MX テレビ」テレ東「NEXT WAVE]とレギュラーが3〜4本あり私の40才の頃には、もっともマスメディアに露出していた。そして今度はオンラインサロンのために映像を収録している。30年前には元気だったTVを含むマスメディアは衰退しつつある。代わりにオンラインサロンのようなSNS界隈が世界的に大きな影響力を持つようになった。
バブルエコノミーそのもの































11月の米国大統領選挙に向けて選挙戦が本格的にスタートしている中で、ライバルを攻撃する最大の「武器」であり、支持者へメッセージを送るツールであるソーシャルメディア(SNS)の使用を、制限しなければならない状況に陥っている。

「ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)」の記事が、トランプ陣営の内情を報じている。削除や警告表示でトランプ陣営SNS戦略見直しを迫られている。フェイスブックが先週、組織的なヘイト(憎悪)に関する規定に違反しているとしてトランプ陣営の政治広告と投稿を削除した。SNS巧者が選挙を制するということだ。













このオンラインサロンもSNSを使ったPRが最も有効で、いわゆるオールドメディアは、必ずしもSNSの民には影響力を持ちにくい。面白い形で民主化が進んでいる。

なかなかかっこいい映像に仕上げてもらっている。是非チェックしてみてください。
https://lounge.dmm.com/content/7589/


2020年7月30日木曜日

百貨店にとって、包装紙は最も重要なブランドアイテム

三越


昭和50年頃だったろうか? 東京の地下鉄銀座線には、何と三越の紙袋が車体いっぱいに、リボンをつけて現れたことがあった。お中元や御歳暮の季節にもなると目につくのが百貨店の包装紙。中身は何であれ、包装紙に包まれれば百貨店ブランドと認知される。

食品から文化まで何でも商品として売る百貨店にとって、包装紙は最も重要なブランドアイテムといえるだろう。百貨店の包装紙には、どこかテキスタイルデザインの影響が感じられるが、それは日本の老舗百貨店が呉服屋から発展したことと関係があるのかもしれない。
伊勢丹















明治時代の呉服屋は、品物を風呂敷に包んで得意先に持って歩いていた。たとえば伊勢丹は、丸に伊のマークがいくつも染め抜かれた真っ赤な風呂敷を使っていたそうだが、その広告効果が抜群で、伊勢丹の発展に大いに貢献したとある。

戦前まで、百貨店の包装紙の目的は「商品の保護、衛生・安全、店名のPR」だった。それに「ブランド価値を高める」という意味を加えたのが三越だ。それまでの包装紙は地味な茶色のハトロン紙に店名が印刷されたものだったが、三越は1950年に白地に赤い斑点の包装紙を誕生させる。

デザインしたのは洋画家の猪熊弦一郎で、白い紙に不定形に切り取られた赤い紙を貼って作ったという。三越の包装紙の成功で、多くの百貨店がカラー包装紙を制作するようになった。今も当時の雰囲気を残しているのは、高島屋や松坂屋。バラやカトレアの花を描かれた華やかな包装紙は、贈答品として使われることを想定したデザインである。
西武デパート






























広告効果に注目して、包装紙を「動くポスター」と考えたデザイナーもいる。映画タイトルのデザインで有名なソウル・バスは、1965年にオープンした京王百貨店の包装紙などを担当し、新興百貨店にとって客が持ち帰る包装紙やショッピングバッグが最も有効な広告媒体と考えた。50年代の映画のタイトルアニメを思わせる軽妙なイラストで鳥の群れを描いた包装紙は、マティスの切り絵と比べても遜色ない隠れた名作だと思う。
京王デパート














現在、多くの百貨店で使われている包装紙は80年代以降のCIブームの中で制作されたもので、コーポレートマークがデザインの核になっているものがほとんど。すっきりと整理され過ぎていて面白みに欠けるのが残念だ。

伊勢丹

















買い物とは楽しいことなのだから、もっとワクワクするような表現があってもいい。昨年、東郷神社のフリーマーケットで茶碗を買ったら昔の西武デパートの包装紙で包もうとしたので、あわてて「その包装紙をそのままください」と言ってもらって帰った。

作者は陶器のデザインで有名なスティグ・リンドベリ。そのモチーフは、リンドベリ氏自身の日本観によるもので、伝統コケシ、魚、猫、西欧的な洋食器、パイプ、ミシン等の絵柄が入り混じり、当時の新しい生活の型を生み出した日本の状況を表現している。
リンドベリの包装紙
















リンドベリの包装紙を見た瞬間、70年代の雰囲気をリアルに思い出した。デザインが記憶を解凍したのだろう。包装紙のように、日常的に親しむデザインの面白さは、その時はさほど考えない空気のようなものだが、意外にしっかりとインクや紙の臭いや手触りとともに記憶に刻印されているのに驚く。


2020年7月29日水曜日

コンセプター坂井直樹の近未来ラボ、昨日からオープンしました。

 コンセプター坂井直樹による会員制オンラインサロン。幅広い分野から坂井の注目する異才ゲストを招いた定例対談をはじめ、リアルな交流の場も様々展開。 激変する世界を逞しく乗り切るためのインサイトがここにある。














坂井直樹が多くの示唆に富んだ異才のゲスト陣との定例対談を配信し、加えてオンライン相談会、コラム発信、リアルなオフ会・食事会を開催するコミュニティ。 
1回:廣田周作 様 (Henge Inc. CEO 
2回:福田淳 様 (Speedy, Inc. 代表取締役社長)  
3回:猪瀬直樹 様 (元東京都知事/作家)  
4回:スプツニ子! 様(アーティスト)

メイン・コンテンツの定例対談では、坂井の注目する起業家、経営者、タレント、クリエイター、スポーツ選手など、分野、世代、性別、国籍を横断した多彩で異才のゲスト陣を迎えて、サロン会員と双方向で学びの場を提供いたします。
リンクを貼っておきます。
https://lounge.dmm.com/detail/2806/

会員制のコミュニティーだからこそできる核心に迫った対談を配信していきます。
よろしければ、ご参加ください。
どんどんアップしていきますのでお楽しみに。





2020年7月28日火曜日

車の製造原価はどうやって決まるのかを知っていますか?昔は業界では「車は1kgで1,000円」などと言われた。

新車の製造原価はメーカーの極秘情報となっているため、詳細が一般に知られることはない。しかし、複雑な原価計算を抜きにして製造原価の話をひと言でまとめるとしたら、それは「重さ」と「生産台数」ということになる。例えば、新車の開発に500億円かかり、生産設備に200億円の新規投資が必要な場合、合計金額は700億円になる。

このモデルを1ヵ月に5000台、4年の生産期間中に24万台製造するとすれば、1台あたりの開発費と生産設備の負担は約29万円になる。ガソリン車の部品点数はエンジンだけでも約1万点、車全体では10万にのぼる。EVに使われる車全体の部品の数は約1万。実にガソリン車の10分の1になる。












こんな精密機械でもトヨタ・ヴィッツ1.0Fの車重は970kgで価格は1,291,091円。価格を重量で割ると1kg当たり1,331円になる。なんか鉄の量り売りみたいで悲しくなる。このあたりが製造メーカーの暗い未来が見えてしまう。ちなみにトヨタ・カローラアクシオ1.5Xの車重は1,090kgで価格は1,584,655円だ。

価格を重量で割ると1kg当たり1,454円だ。つまり、カローラはヴィッツよりも120kg重くなって293,564円高くなっているが、1kgあたりの車重に直すと、その差は123円しか無い。

昔は業界では「車は1kgで1,000円」などと言われた。レクサスのような高級車は4,000円を超えるものも珍しくはないが、1,000〜1,500ccクラスの小型大衆車は今でも1kgあたり1,000円台となっている。最近はプラスチックの部品も増えたが、車は鋼板を加工して組み立てている以上、大まかに行ってしまえば、「車は重いほうが高い」

米EV大手テスラの組み立て工場の動画を見て欲しい。パチンパチンとシャシー(車台)にモーターと電池を貼り付け、上からカパッとボディーを被せれば出来上がり。まるでプラモデルだ。組み立て作業のほとんどはロボットがこなしている。
参考記事:https://car-moby.jp/article/car-life/useful-information/car-cost/



2020年7月27日月曜日

アップルコンピュータ創立CEOのスティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

PART 1 BIRTH


ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
 

私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 

私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。

で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 

しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。











PART 2 COLLEGE DROP-OUT
 

こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。

自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。

ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
 夢物語とは無縁の暮らしでした。

寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 

しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多く
は、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。




















PART 3 CONNECTING DOTS
 

リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。

そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。

それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。
 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。

で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
 

もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。

もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできな
い、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこ
そバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。

点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。































PART 4 FIRED FROM APPLE

2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。

そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。

けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 

自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。

このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。 
 

ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
 

その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 

それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。

NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。

だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。

そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。




























PART 5 ABOUT DEATH
 

3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。

それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。

それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。

何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。

そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
  
jobsが愛用していた腕時計

Seiko rimette in vendita l’orologio che piaceva a Steve Jobs
















PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER


今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。

主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。

それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。
 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。

私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
 

これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。

天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。

今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。

だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。
jobsが愛用していたニューバランス















PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンロー
パークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。

パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 
















スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。

「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.
 ご清聴ありがとうございました。
the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳 市村佐登美

スチュアート・ブランドと一緒に”The Whole Earth Catalogue”を制作していたのが私の友人ダドリー・ディゾニアだ。