2016年5月13日金曜日

「髑髏と入れ墨」を好んで描いた国芳は江戸っ子パンクだ。「髑髏と入れ墨」は今もグローバルなアウトローの象徴として生き続けている。












昨日「俺たちの国芳わたしの国貞」展覧会を見に行った。今日は国芳の話、江戸から始まったとみられる入れ墨の元絵の大半は国芳の浮世絵だ。































江戸時代から「髑髏と入れ墨」を好んで描いた国芳は江戸っ子パンクだ。「髑髏と入れ墨」は今もグローバルなアウトローの象徴として今も生き続けている。

















そして国芳の絵に欠かせないのが妖怪達だ。生前水木しげるさんも大変国芳を好み「相馬の古内裏」 は、写しを描いている。骸骨の妖怪が大宅太郎光国に襲い掛かる絵はわたしも大好きだ。歌川国芳は今や言わずと知れた幕末浮世絵の大スターだ。ヒーローやアウトローはカッコよく、戯画は大ウケ、動物は愛らしい。
















反骨と風刺の精神に富んだ作品群は、当時の人々の圧倒的支持を得、多くの門人が集まり、浮世絵師の最大派閥を形成。その系譜は昭和の日本画家まで連なっている。巨大な骸骨や巨大な魚などと格闘する武者絵がわたしの好みだ。











江戸幕府の理不尽な弾圧を黙って見ていられない江戸っ子国芳は、浮世絵で精一杯の皮肉をぶつけた。『源頼光公館土蜘作妖怪図』(1843年(天保14年))は、表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いたものだが、本当は土蜘蛛を退治するどころか妖術に苦しめられているのは頼光と見せかけて実は、将軍・徳川家慶であり、国家危急の時に惰眠をむさぼっているとの批判が込められている。








http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_kuniyoshi/


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