2014年4月30日水曜日

SNSを通して多くの人たちが繋がった結果、価値感が平均化し個性を維持することが難しくなり皆同じような普通になったという仮説

昨日成蹊大学で岡田斗司夫さんに来て頂いた。しばらくお目にかかって無い間にレコーディングダイエットで50kgも体重を落とし写真を見るとまるで別人のようになっていたが、今回お目にかかった姿は全盛期ほどの体重では無いものの、かなりリバウンドして見かけは、かつての姿に戻っておられた。











講演のテーマは「科学とデザイン」その後Q&Aに移ったときに、”個性”の話になった。岡田さん曰く「FacebookやLineなどのSNSを通してあまりにも多くの人たちが繋がった結果、価値感が平均化し個性を維持することが難しくなり皆同じような普通になった」という文脈だった。これは面白い仮説だ。少し考えてみたいと思う。

あらためて岡田さんの個性に関する文章を探していたら
「個性が素晴らしい・・・本当にそうか!!?」から以下転載および再編集

よく「個性が無くて困る」とか言う人がいるけど、はたして正気だろうか?僕自身は、自分の「豊かすぎる個性」に悩まされ続けだった。もっとノーマルな感性なり価値観であれば、もう少しは楽に生きれたのではないか。

ひょっとして、みんなはこう考えているのか?「自分の中のアブノーマルな部分で、イヤでない部分が『個性』、イヤな部分は『欠点』」当然、これは大間違いだ。「個性とは、欠点を肯定的に表現した言葉である」http://www.netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.4/frame.html

*先日”「個性的=かっこいい」という観念が破壊され、時代は今"ふつう"を欲している。ニューヨークで広がる"ノームコア"というトレンド”という”究極の普通”というトレンドのブログがバズったことも、そういうことと関連しているかもしれない。その後の授業でも学生の中に「目立ちたくない。普通が一番」という意見が続発した。
http://sakainaoki.blogspot.jp/2014/04/blog-post_10.html

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