“芸術家とデザイナーの違いはどこにあるのか | 坂井直樹「デザインのたくらみ」 | 現代ビジネス [講談社]がバズっている。
今日現在FB「良いね!」が1,617、受ける記事と受けない記事の違いはどこにあるのだろうか?誰かに伝えてみたい、伝えやすい考え方。が受けているような気がするが、答えは藪の中。
”芸術の源泉は「個」にあり、デザインの発端は「社会」にある”
では「デザイナーという人間」の"源泉"には何があるのだろうか。個人的な意志がなく、社会の問題発見からデザインが「始まる」のであれば、人としてのおおもとには何があるのか。私はデザイナーの根本には「"なにもない"がある」と考えている。
デザインとは私たちが日々生きていくなかで通過する「見落としがちな物事の"雑音"に耳を澄ませること」なのだ。まずは日常の中に課題をみつけるところからデザインは始まる。
だから、デザインを生業とする人の底にはなにもない。芸術家がもっている「こんなものをつくりたい」「こうしたらかっこいい」「ああしたら美しい」という"自我"は存在しない。デザイナーが重視する"自分"とは、環境のなかでそれを感受する受け皿としての「個」なのだ。
デザイナーとはそのように「呼吸」する職業であり、なんというか、空虚だが豊満な人としてのあり方だと感じている。
続きは→→→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39044
今日現在FB「良いね!」が1,617、受ける記事と受けない記事の違いはどこにあるのだろうか?誰かに伝えてみたい、伝えやすい考え方。が受けているような気がするが、答えは藪の中。
”芸術の源泉は「個」にあり、デザインの発端は「社会」にある”
では「デザイナーという人間」の"源泉"には何があるのだろうか。個人的な意志がなく、社会の問題発見からデザインが「始まる」のであれば、人としてのおおもとには何があるのか。私はデザイナーの根本には「"なにもない"がある」と考えている。
デザインとは私たちが日々生きていくなかで通過する「見落としがちな物事の"雑音"に耳を澄ませること」なのだ。まずは日常の中に課題をみつけるところからデザインは始まる。
だから、デザインを生業とする人の底にはなにもない。芸術家がもっている「こんなものをつくりたい」「こうしたらかっこいい」「ああしたら美しい」という"自我"は存在しない。デザイナーが重視する"自分"とは、環境のなかでそれを感受する受け皿としての「個」なのだ。
デザイナーとはそのように「呼吸」する職業であり、なんというか、空虚だが豊満な人としてのあり方だと感じている。
続きは→→→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39044
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