2010年11月6日土曜日

今日は天才葛飾北斎ではなく天才にありがちな「変な叔父さん」としての葛飾北斎にフォーカスし数々の奇行を調べてみた。

葛飾北斎は、17601031?1849510日、江戸時代に活躍した浮世絵師、代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。天才にありがちだが、奇行も目立つ。今回のブログは天才の北斎を称えるのではなく、「変な叔父さん」としての北斎にフォーカスしてみよう。
僕が最も好きな、信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』
まず「奇行その一」、何と彼は生涯に30回と頻繁に改号していた。今で言うブランディングを30回変更した。使用した号は「春朗」「群馬亭」「北斎」「宗理」「可侯」「辰斎」「辰政(ときまさ)」「画狂人」「雷斗」「戴斗」「不染居」「錦袋舎」「為一」「画狂人」「九々蜃」「雷辰」「画狂老人」「天狗堂熱鉄」「鏡裏庵梅年」「月痴老人」「卍」「是和斎」「三浦屋八右衛門」「魚仏」「穿山甲」などと、それらの組み合わせである。なお、彼の改号の多さについては、弟子に号を譲ることを収入の一手段としていたため、とする説もある。
1031日のGoogle  Logoは北斎の生誕の日を祝った。
「奇行その二」、転居すること93回もまた有名である。僕はまだ40回前後頑張らねば。(笑)一日に3回引っ越したこともあるという。北斎は絵を描くことのみに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引っ越していたからしい。食器はともあれ、住居をディスポーザブルするのはすごいね。当然、食生活も相当乱れていた様子である。それでも90歳の長寿を全うした。我が儘は体によいという証拠。参考にしたい。

北斎の赤富士

「奇行その三」、料理は買ってきたり、もらったりして自分では作らなかった。居酒屋のとなりに住んだときは、3食とも店からデリバリーさせていた。だから家に食器一つなく、器に移し替えることもない。包装の竹皮や箱のまま食べては、ごみをそのまま放置した。お茶も客があると隣の小僧を呼び出し、土瓶を渡して「茶」とだけいい、小僧に入れさせて客に出したという。北斎は、酒を飲まなかった。大手の画家であり画料は高額だった。にもかかわらず乱れた生活、不衛生な部屋、汚れた衣服を着ている、引っ越しが多いというのは「往々にして酒飲みの行状」であるというものがあるが不明。(これは面白い推測) 


「奇行その四」画料が高額であったにも関わらず貧しかった不思議?、北斎は金銭に無頓着であった。 北斎の画工料は通常の倍を得ていたが、赤貧で衣服にも不自由する。しかし金を貯える気は見られない。 画料が送られてきても包みを解かず、数えもせず机に放置しておく。米屋、薪屋が請求にくると包みのまま投げつけて渡した。店は意外な金額なら着服するし、少なければ催促するという形であった。このような金銭の扱いが貧しさの一因であろう。(wikipediaを参考に再編集)


2 件のコメント:

  1. 紗蔵の和久です。
    なるほど。。。勉強になりました。
    私も北斎の生涯を勉強しなくては、ならないし、多くの方に伝えていかなくてはならないと思っています。
    先生もかなり引っ越しされているんですね〜笑

    今後も革小物で北斎シリーズを増やしていきたいと思っております。
    今後ともよろしくお願いいたします。

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  2. これだけの人物ですから、
    どうも引っ越しとか改名というと、
    女から逃げたんじゃ・・・
    と思うんですが違いそうですし。

    ディオゲネスという哲学者を最近教えていただいたんですが、
    似てますね。性格が。

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