2011年1月2日日曜日

バスキアとウォーホールの関係とは?

ジャン・ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat19601222 - 1988812日)はニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカの画家。ハイチ系アメリカ人。父はハイチ出身、母はブルックリン出身でともにプエルトリコ系。以外に家庭は比較的裕福で、5歳のころから母に連れられメトロポリタン美術館やMoMA訪れたり、レオナルド・ダ・ビンチの「解剖画集」を与えられるなど、美術の英才教育を受けて育つ。17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始める。活動を続けるうちに高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。徐々に彼の描いたスプレーペインティングは評価され、キース・ヘリング、バーバラ・クルーガーの助力でニューヨークで個展を開くようになった。

プエルトリコ系であるバスキアの肌は黒く、また王冠をかぶった黒人のポートレートをしばしば描いていた事実も、彼が自らの民族的出自を強く意識していたことを物語っている。彼の画風はキース・ヘリングらのグラフィティ・アートといった当時のアート・シーンの最新モードやサブカルチャーの成果を得て形成された。ウォーホールの死の一年後の88年、急性薬物中毒のため27歳の若さで死去。太く短い、激しい生涯を反映し、評価も毀誉褒貶が激しい。しかし96年にネオ・エクスプレッショニズムの画家ジュリアン・シュナーベルが制作した映画『バスキア』は、バスキアが80年代の重要作家であることを伝えた。1983年にはアンディ・ウォーホールと知り合い、作品を共同制作するようにもなる。1987年のウォーホールの死まで2人の互いに刺激しあう関係は続いたが、バスキアは徐々にヘロインなどの薬物依存症に陥る。

Basquiat- Heroin- Velvet Underground
Slide Show- Jean Michel Basquiat, his friends and his paintings. Music- Heroin- Velvet Underground

Andy Warhol and Jean-Michel Basquiat, filmed in 1986


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