2015年12月31日木曜日

今日は早めのお正月の浮世絵、北斎《冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図》現在の東京メトロ三越前の真上から富士山を見ている。面白い絵解きは、看板には「現金」「無掛値」が読める。越後屋が始めたこのイノベーションはキャッシュフローが大幅に増え、商売繁盛した。

「浮世絵コード」という興味深い話を牧野健太郎さんから聞いた。牧野さんはNHKプロモーションの役員で、ボストン美術館との浮世絵デジタルプロジェクト・プロデューサーでもある。浮世絵には禁令で描いてはいけないものが決められていた当時、メッセージをコードの中に埋め込んで隠した。浮世絵にはコード(暗号)が埋め込まれている。以下受け売りである。

ずっと広重を取り上げてきたのだが、今日は早めのお正月の浮世絵葛飾北斎《冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図》現在の東京メトロ・地下鉄、銀座線、三越前の真上から富士山を見ている。1830年頃に描かれた左右に「現在三越の当時三井のマークの越後屋さんのお店」その間の通りの駿河町、凧があがり、富士山がすっきりと、江戸のお正月だ。

大きい画像は以下をクリック
https://upload.wikimedia.org/

絵のタイトルの右側に「前北斎為一筆」と書かれている。「以前は北斎を名乗っていたが、今は為一(いいつ)が描いている」という意味。葛飾北斎さん、その生涯に30回も名前変え93回転居したつわもの、この時の名前は為一。















今日の「浮世絵コード」は丁寧に見ればわかるものばかり、複雑な暗号はない。冨嶽三十六景の中でも江戸のど真ん中「駿河町」、中央区日本橋室町から描いている。家康一緒に、駿河の国(今の静岡県あたり)の人たちが移り住んだ「駿河町」、富士山までちょうど100㎞だ。

江戸の豪商のシンボル、贅を尽くした「建看板や屋根看板」が揚げられている。呉服店の三井越後屋だ。「三井の越後屋」略して今は「三越」だ。繁盛した、あまりの人混みに「駿河町 畳の上の人通り」と川柳があったとか。昨日正月の買い物で三越に行ったが今も駐車場待ちの車が絶えない。

面白い絵解きは、看板のトレードマークに「現金」「無掛値」が読み取れること。当時買物の支払いは、盆と暮れの年2回のつけ払いだった。しかし越後屋が始めイノベーションはキャッシュフローが大幅に増え、その場で売って現金取引、正札販売、は江戸で受けて商売繁盛した。

そして三井越後屋の屋根の上の瓦職人さん、「屋根の上の瓦放り」正月までなぜ働くの?という疑問はあるがさておき、左下の瓦職人が投げ上げた瞬間、時が止まっています。真ん中の受け手の職人、北斎ならではのモーションピクチャー技で「瞬間」を描ききっている。

トンビ凧、ぐいぐい引っ張っている。越後屋の西側、店の向こう、江戸の金座(今の日本銀行)のあたりから上がっている。お正月に、版元・永寿堂さん「壽(寿)」一文字のコマシャールの配慮さすが北斎。
(以上牧野健太郎のお話から)
https://art.flagshop.jp/column/detail/425



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