2012年2月23日木曜日

アート界にも時々イノベーションが起き、従来のアートが一気に時代遅れ(obsolete)とされる事が起こる。

僕が芸大の一年生の時、木村英輝先生は当時の京都芸大の若い気鋭の講師だった。その先輩木村さん(今はこう呼ぶ友人となった)が、また新しい画集「LIVE 飛ぶ、笑う、踊る、唄う すべては、成りゆき」を出した。その中に「還暦から絵を描いた」という題の面白い文章があった。時代は60年代、ゴッホやピカソやマチスなどの印象派の絵画が、ウォーホールやリキテンシュタインの登場などで「アート界にイノベーションが起き」時代遅れ(obsolete)とされた頃の話が面白い。















「今までになかった新しい発想。誰の真似でもないオリジナリティ。ただ絵が上手というだけでは勝負にならない。」時代の到来への戸惑いが正直に出ている。でもそれは、かつての「ピカソのゲルニカ」なども同じような衝撃を当時の世界中のアーティストに与え、それ以前の絵画を一挙に時代遅れ(obsolete)にしたのだ。イノベーションはデザインだけのモノではなくアートの中にもある。何かが壊れ、何か新しいものが立ち上がってくる。

上がピカソのゲルニカ、下がリキテンシュタイン































(以下木村英輝の文章)
幼稚園に行くまで、チョークや蝋石で道ばたに絵を描き、"絵が上手な子”といわれた。幼稚園では園長先生に特別、目をかけられた。小学生になったら数々の写生会、絵画展で賞を総嘗めにした。全国郷土絵画展で、運輸大臣賞をもらった。美大の入試で試験中にカリスマ教授、リチ上野女史から誉められ、現役で合格。幼児より、絵を描いたら誰にも負けない。自信満々だった。だがこの自負がうち砕かれることになる。
















時代は60年代後半だった、日本画は横山大観。わけがわからない絵はピカソ。ちょっと描けそうな絵はゴッホ。という絵の認識しかなかった泉州育ちの私の前に、カッコいいポップ・アートの旗手、アンディ・ウォーホールやリキテンシュタインが登場してきたのだ。今までになかった新しい発想。誰の真似でもないオリジナリティ。ただ絵が上手というだけでは勝負にならない。負けず嫌いの私は、そのハードルを越えることを意識するあまり、絵を描くことから遠ざかることになる。




















還暦になったら絵を描こうとは考えていなかった。むしろ、還暦を機に何かをやるなんて、カッコ悪いとすら思っていた。ところが60歳を前にして、“今までになかった新しい、凄い絵”という呪縛から抜け出し、自分が描けるものを描けばいいと、素直に思えるようになる。年をとり、鈍感になったのかもしれない。どうでもよい価値観や邪心が洗い流された。自由自在。幼児に現体験へと回帰。何の気負いもなく、衒いも見栄もなく、絵を描くようになった。


◆プロフィール
木村英輝(きむら・ひでき)
1942年大阪生まれ。京都市立美術大学図案家卒業後、同大講師を務める。
71年京大西部講堂「MOJO WEST」オルガナイザー。
ロックバンド村八分プロデュース。
還暦より一転、絵師へ。作品集に『無我夢中』など。
http://www.seigensha.com/books/978-4-86152-333-5



0 件のコメント:

コメントを投稿