僕が最も好きな、信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』 |
10月31日のGoogle Logoは北斎の生誕の日を祝った。 |
北斎の赤富士 |
「奇行その三」、料理は買ってきたり、もらったりして自分では作らなかった。居酒屋のとなりに住んだときは、3食とも店からデリバリーさせていた。だから家に食器一つなく、器に移し替えることもない。包装の竹皮や箱のまま食べては、ごみをそのまま放置した。お茶も客があると隣の小僧を呼び出し、土瓶を渡して「茶」とだけいい、小僧に入れさせて客に出したという。北斎は、酒を飲まなかった。大手の画家であり画料は高額だった。にもかかわらず乱れた生活、不衛生な部屋、汚れた衣服を着ている、引っ越しが多いというのは「往々にして酒飲みの行状」であるというものがあるが不明。(これは面白い推測)
「奇行その四」画料が高額であったにも関わらず貧しかった不思議?、北斎は金銭に無頓着であった。 北斎の画工料は通常の倍を得ていたが、赤貧で衣服にも不自由する。しかし金を貯える気は見られない。 画料が送られてきても包みを解かず、数えもせず机に放置しておく。米屋、薪屋が請求にくると包みのまま投げつけて渡した。店は意外な金額なら着服するし、少なければ催促するという形であった。このような金銭の扱いが貧しさの一因であろう。(wikipediaを参考に再編集)
紗蔵の和久です。
返信削除なるほど。。。勉強になりました。
私も北斎の生涯を勉強しなくては、ならないし、多くの方に伝えていかなくてはならないと思っています。
先生もかなり引っ越しされているんですね〜笑
今後も革小物で北斎シリーズを増やしていきたいと思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。
これだけの人物ですから、
返信削除どうも引っ越しとか改名というと、
女から逃げたんじゃ・・・
と思うんですが違いそうですし。
ディオゲネスという哲学者を最近教えていただいたんですが、
似てますね。性格が。