2010年10月4日月曜日

これまでコム デ ギャルソンは、ネットでの活動を控えていたためHPの真贋が話題に上っていたが、公式HPと判明。



今時、HPを開設したからといってTwitterをはじめさまざまなメディアで、話題に上るのはComme des Garçons(コム ギャルソン)くらいだろう。画像は「Comme des Garçons(コム  ギャルソン)」のHPのトップページ。

2010101日、「Comme des Garçons(コム ギャルソン)」が公式ホームページを公開した。これまでコム ギャルソンは、ネットでの活動を控えていたためHPの真贋が話題に上っていたが、公式HPと判明。コム ギャルソン代表でありデザイナーの川久保玲氏が1969年にブランドを立ち上げて以来初めてとあって、これからのウェブプロモーションに注目が集まる。川久保玲さんらしいずらしのタイミングだと思う。

ホームページを開いてまず目に飛び込んでくるのがアルゼンチンのアーティストMondongo(モンドンゴ)、Quay Brothers(クエイ・ブラザーズ)、そしてAi Weiwei(アイ・ウェイウェイ)のアート作品。ナイスセレクト、やはり川久保玲さんの感性は、いまだ冴え渡っている。
http://www.fashionsnap.com/news/2010-10-01/comme-des-garcons-web/

実は、川久保玲さんとは多少の縁がある。僕が米国から帰国した1970年の初期の原宿・表参道の道路には、まだセンターラインがなくて広々していて、車もそう多くなく、喫茶店もセントラルアパートの「レオン」と「千疋屋」くらいでした。トレンディーなものは菊池武夫さんが作った「ビギ」というブティックくらい。要はすごいヒューマンサイズの町で、かつ新宿でも渋谷でもなく、非常に中途半端な場所という感じでした。当時は東京というと銀座か新宿であって、僕らは渋谷や池袋を都会的な意味での東京とはまだ呼んでいませんでした。銀座の「みゆき通り」をJUNやVANの紙袋を抱えて歩くのが流行した時代です。

その原宿で1973年に『ヘルプ』というブティックを複数のショップで立ち上げ、当時ロンドンで流行したフリーマーケットです。伊藤病院の向かいの空間を、コムデギャルソンの川久保玲さんをはじめ4℃、ドゥ・ファミリーなど10軒のオーナーで借りてシェアをしていた時期があります。当時、4~5人の小規模でマンションの一角で商売できるところから「マンション・ブティック」とか「マンション・メーカー」と呼ばれていました。今で言うベンチャーですね。まだファッションの世界には、デザイン性に優れていて量産品のアパレルという市場の勃興期でした。オートクチュールの世界が活力を失いかけていた時期です。そんな時代に渋谷の西武デパートでは、カプセルコーナー(一種のインキュベーターとしてのアパレルの店)の展開を早くも始めています。三宅一生さん、山本寛斎さん、菊池武夫さんといった1960代後半に活躍するデザイナーたちの商品を置いたのです。僕もWATERのブランドで「入れ墨Tシャツ」を販売してもらいました。売れるかどうかわからない我々アントレプレナーの服を扱ったところが西武のすごさです。結果的にはユニークな衣服は爆発的に売れアパレルブームの火付け役になりました。 

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