2020年8月10日月曜日

「人は遊ぶ存在である」と述べたのはホイジンガだが、それを実践している人がスーパービジネスマンの福田淳さん。

オンラインサロン「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」よりSpeedy, Inc. 代表取締役社長 福田淳様との対談が一部無料公開されました!
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遊びと仕事の達人福田淳さん、是非ご覧ください。

福田淳は仕事や遊びを自らの五感を通して情報をインプットし、常に自分自身をアップデートし続ける本能を持っている。ビジネスマンでありクリエイターだ。インプットした情報は右脳も左脳も活用し編集しアウトプットする。彼にとっては、すべてが自らの身体を使った体験であり、これからも激変する時代には彼の反射神経がすべてだ。綿密に組まれた五カ年計画など、リーマンや、COVID-19で体験したように一挙に崩れ去る。その場その時に起こる変化に知的身体能力を使って柔軟にサバイブしていくスーパービジネスマンの登場だ。

「人は遊ぶ存在である」と述べたのはホイジンガだが、遊びをすべて肯定的に表現しているのが面白い。福田さんにとっては遊びも仕事も心を満足させることで同じである。 遊びとは、知能を有する動物が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。

基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。また中国古代の哲人荘周の言行録である『莊子』には「遊」という字が106回使用されており、中国思想史の上で「遊び」という概念は『莊子』と密接な関係を持っている。

『莊子』では、人間の心と世界(道)を結びつけて、何物にも囚われれない主体的で自由な心の在り方を「遊び」と表現した。人間の文化はすべて「遊びの精神」から生まれた、あるいは、あらゆる人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたものであると主張した。 
沖縄の海で遊ぶ福田さん





























ホイジンガは、人間を「ホモ・ルーデンス」(遊ぶひと、遊戯人)と呼び、遊びこそが他の動物と人間とを分かつものであり、政治、法律、宗教、学問、スポーツなど、人間の文化はすべて「遊びの精神」から生まれた、あるいは、あらゆる人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたものであると主張した。

他の高度な知能を有する動物に比べて、ヒトは特に遊びが多様化・複雑化しており、生物として成熟した後も遊びを多く行ない、生存にはまったく不要と思われるような行動も多く見受けられる。これを他の動物ないし生物との区別と捉える考えがある。遊びは大きな文化として確立しており、また商品の売り手にとっても市場を左右する要因としても重要である。 

遊びは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす。ただし、それに加わらない他者にとってその行動がどう作用するかは問わない。これらすべてwikipediaから選んだが、なかなかさえている。  
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