2015年9月7日月曜日

どうして人々は透明のプロダクトに魅了されるんだろう。Dysonも透明のケースが無ければ、初期iMacも半透明の筐体でなければ、あれほどの人気にはならなかっただろう。人に対しても「透明感がある」なんて褒め方をする。


どうして人々は透明のプロダクトに魅了されるんだろう。Dysonも透明のケースが無ければ、あれほどのインパクトは無かっただろう。初期iMacも半透明の筐体でなければ、あれほどの人気にはならなかっただろう。人に対しても「透明感がある」なんて褒め方をする。















透明のアクリルで作られたフィリップ・スタルクの椅子やテーブルやトイレ。倉又史郎のミスブランチ。最近では「CES」で発表され、大いに話題を呼んだ透明ディスプレイ「透明AM有機EL」。無印良品の「貼ったまま読める透明付箋紙」あるいはauケータイ「X-RAY」数え上げるときりが無い。そして透明プロダクトはなぜか未来映画に良く出てくる。















そしてこの透明の車は、1939年ゼネラルモーターズのポンティアックは透明のゴーストカーは、プレキシガラスを開発した会社と協力してレストアされ、完全に機能しており、完全に透けて見ることができるように車は設計されている。


http://www.lifebuzz.com/ghost-car/

2015年9月6日日曜日

秋葉原のカフェオーナーの若い女性経営者が、ハードウェアベンチャーUPQ(アップ・キュー)を開業。しかも24製品というスタートアップにしては大量の新製品発表にメディアは沸いた。


















最近Cerevoをはじめとするハードウェア・ベンチャーが元気だ。従来ベンチャーと言えばソフトウエアだった。その理由は簡単で初期投資が少なくて始められるからだ。しかしハードウェアは型投資に大きな資金が必要となるのでハードルが高かった。















しかし、工業の民主化で3Dプリンターやファブラボ等が登場し比較的容易にプロトタイプなら作れるようになったこともハードウェア・ベンチャーが出やすい環境を生み出した。















そういう変化の中で家電・家具を扱うスタートアップUPQが開いたブランド発表会。第1弾製品として披露されたラインナップは、スマホからデジカメ、4Kディスプレイまで何と17種24製品に及んだ。












CEOの中澤優子さん(一度インタビューでご一緒したことがある)はカシオ計算機で5年間勤務したのち秋葉原でカフェを開いたが、たまたまカフェの近くで開催されたハッカソンでIoT弁当箱「Xben」を企画。

これが経産省フロンティアメイカーズ育成事業に採択され、「SXSW」(South by Southwest)にも出展した。この流れから生まれたのが「ほぼ一人家電メーカー」をうたう、UPQ(アップ・キュー)となる。


Cerevo代表取締役の岩佐琢磨氏も中澤さんのサポーターだ。元々経産省のフロンティアプロジェクトのメンター側を行っていて、IoT弁当箱「Xben」のメンターという形で関わりが始まり、UPQに関してはODMの紹介や品質管理、製品サポートやテクニカルな部分をCerevoがフォローする形で協力している。

http://upq.me/jp/


2015年9月5日土曜日

「Sleep No More」というオフブロードウェイ、観客である我々は白いマスクをつけ「アノニマス(見えざる者)」として参加する。ミューヨークの前衛に触れるのも久しぶりだ。














久しぶりに今月ニューヨークに行くことにした。メーカー・フェアを視察したいこともあるが、友人から薦められていた「Sleep No More」というオフブロードウェイを見に行くことも楽しみだ。かなりユニークな演劇で、観客である我々は白いマスクをつけ「アノニマス(見えざる者)」として参加する。ミューヨークの前衛に触れるのも久しぶりだ。












地上6階、地下1階からなるチェルシーの廃ホテルの館内には、Sleep No More風にシェークスピアの悲劇『マクベス』の世界観をあらわした約100の部屋があり、各所で起こる役者たちの劇中で起こる歌やダンスや芝居といった質の高いパフォーマンスパフォーマンスを見に回る。

しかし、ルールがあって役者に声をかけても触ってもいけない。役者も我々の存在を無視する。という体験型シアターらしい。また、館内にはキャバレー形式のバーも併設されており、開演前と終演後はそこでお酒を楽しむこともできる。五感が活性化することを期待している。




2015年9月2日水曜日

良く気がつくことだけれど、飼い犬とオーナーが良く似ているがありませんか?人は自分に似ているから選んだのか?似ているから愛したのか?このペアの写真は和ませる。


















良く気がつくことだけれど、飼い犬とオーナーが良く似ているがありませんか?シリーズ「犬の人」は、ハンブルクをベースに活躍している写真家のINES opifantiは、こういう「あるある」日常の人々の気づきを発展させた作品。

















まず愛犬を撮影し、その表情やポーズをオーナーが真似るという方法で撮影された。一層飼い主と犬が似てくる。2つ​​の異なる種(人と犬)がこれほど似ているのは、本当に魅力的な関係だ。人は自分に似ているから選んだのか?似ているから愛したのか?










http://www.designboom.com/

2015年9月1日火曜日

最近学生に聞くとロックフェスがブームらしい。国会前の法案反対デモもかつて見た懐かしい景色だった。そこで今日は私達の昔話46年も前のこと。1969年京都で起こった日本では初めてのロックフェス「TOO MUCH」

1969年。京都で起こった日本では初めての実験的ロックフェス「TOO MUCH」
当時、アメリカでは「ウッドストック」が雑誌「LIFE」で特集される程の盛り上がりを見せたが、日本ではロックがお祭り(フェスティバル)となったことは、初めての出来事だった。実験的、何でもありの「TOO MUCH」にロックのミュージシャンが参加し、国産ロックフェスティバル第一号がこの時誕生することになる。
































TOO MUCHの起源

それは、1966年。昭和41年。京美大(京都市立美術大学、現芸術大学)を卒業して1年ほどしか経たぬ頃、同大の教授から声を掛けられ同校の非常勤講師となっていたキーヤンこと木村英輝(現アーティスト)のもとに集まっていた、同大の学生だった

坂井直樹(後に日産の限定車BI-1のプロデュースで脚光を浴び、デザインをプロデュースする新職種として、コンセプターを名乗る)

鶴田憲次(現京都芸大西洋画科教授)
8歳の頃、すでにサルバドール ダリのような特異で緻密な写実的絵画を描き、周りの人を驚かせたという神童である。また、高校時代から蘭の栽培と化石の採取において、プロを超えたコレクターでもあった。

この2人の異才は、世界アートの潮流に気付こうともせず、ぬるま湯にどっぷり浸っている京美大の教官や学生に強い不満をいだいていた。このままでは行き詰まってしまう、授業では味わえない、夢中になれることをメッセージしたいと考えるようになった。2人の提案は講師だったキーヤンにとっては、キャンパスから抜け出した実験的イベントであり、課外授業でもあった。「おもしろい!一緒にやろう」こうして始まった「TOO MUCH」がやがてロックフェスティバルへと変化していった。









時代は東京オリンピック後の昭和40年不況が依然として続いていた。学生たちには満足できる就職先が見つからなかった。それならいっそ自分たちで会社を作ろうと、キーヤンは卒業生たちに呼びかけて、広告企画会社「R.R」を立ち上げることになる。

オフィスは京都の中心街にあった。70年安保もだんだんキナ臭くなり、モヤモヤした気分を持てあましていた学生たちが「R.R」を覗くようになる。美大の教室が「R.R」のオフィスに移った。こうして「R.R」は世界のアート情報を取り入れようとしない教育姿勢に不満を抱いていた学生とその仲間たちのたまり場となっていく。

「R.R」とはRepresentative Result(演出効果)の頭文字からとったネーミングである。ロックンロール(R&R)ではなかった。「R.R」が、やがてロックに関わっていくことになろうとは、開設当時、誰も想像だにしていなかった。

やがて、広告企画会社「R.R」の経営は、広告企画だけでは立ち行かなくなった。なにか他社ではやれない売り物がいる。そこで思いついたのが、サイケデリックな空間演出だった。ニューヨークの「エレクトリック・サーカス」で火が付いたサイケデリック.スペースが新しいプレイスポットとして我が国に上陸。

みんな若いだけあって、さっそくこれを取り入れ、サイケデリックな空間演出をするプレイスポットの企画、制作を手掛けた。
こうして「R.R」はサイケデリック空間の企画制作という新しいビジネスを通じて、知らず知らずのうちに時代に導かれて、誰もが経験したこともないイベントをやるオフィスへと変貌していたのである。

山形不可止、通称GATAは、キーヤンと京美大の同窓生で、「R.R」設立メンバーの一人である。止まるべからず、不可止は本名である。不可止をあえて英訳すれば、ローリング.ストーンとなる。山形はメンバーの中で当時、唯一、中近東、ヨーロッパの旅を経験していた。グローバルな視野で物事を判断できる男で仲間うちでは、誰よりも信頼されていた。

その山形が住む学生寮の隣の部屋に京大電子工学科の北川明がいた。
大人でも難関とされた無線免許を中学生の時、取得した。最年少記録をもつ秀才である。
大学時代は「歩く百科事典」と呼ばれ、その博識ぶりはつとに有名だった。

当時、小田実の「なんでも見てやろう」がベストセラーになっていた。これに刺激を受けて若者たちが海外への旅に憧れた時代である。北川明はこれに便乗して海外旅行の実践本「48ケ国での青春」を著わし、出版した。各国を歩き回り、金がなくなれば血を売って稼ぐといった内容で、信じて旅した若者が気が狂った、とも聞く。

「48ケ国の青春」に触発され、海外へ出かけた若者たちが帰国して、著者、北川明と山形不可止を頼りに「R.R」を尋ねるようになる。彼らにとって、「R.R」の雰囲気は海外でのカルチャーショックをそのまま受け止めてくれる場と映ったようだ。居心地が良かったのだろう、そのまま居候を始めるのだ。

そのうち、居候を尋ねて、海外で交流のあったヒッピーたちがやってくるようになる。「Far out」「Out of site」「Too much」ヒッピーたちが好んで用いる英語が飛び交うオフィスに「R.R」が様変わりするのに、さほど時間はかからなかった。

世紀を揺るがすニュースが衛星放送によって世界へ同時放送されるようになった。ケネディ大統領の暗殺に始まり、以後、キング牧師の暗殺、ベトナム戦争、ビートルズの「愛こそすべて」、月面着陸・・・・と続く。良かれ悪しかれ、国境を超え人種を超えて、若者たちが「何をやりたいのか」「何をやるべきか」を問う時代になった。「R.R」につどう若者の多くもグローバリズムに共鳴していた。

サンフランシスコで自然発生的に生まれたフラワーチルドレンと称されるヒッピーたちがもうひとつの文化と価値観を求めて、東洋の神秘を探るべくインドやカトマンズに旅立った。

アレンギンズバークの「禅の教え」に触れたいと、京都を訪ねたフラワーチルドレンたちは、口こみによって、彼らを迎えてくれる若者たちが集う「R.R」の存在を知ることになる。

当時、ウッドストックが国際的雑誌「LIFE」で特集されたが、ロックがお祭り(フェスティバル)となったことは、日本では初めてだった。実験的、なんでもありのTOO MUCHにロックのミュージシャンたちが参加し、国産ロックフェスティバル第一号が誕生することになる。誰でも自由に参加出来たけれど、カッコよさには、こだわったイベントでもあった。

タイトルの「TOO MUCH」は、キーヤンが命名した。「R.R」を訪ねるヒッピーたちが、よく使う英語だった。最高な時、最悪な時、興奮した時、口調を変えて、飛び出してくる言葉である。発音しやすい英語だ。「ネーミングに関して、私には一家言あった。理想や憧れ、教訓などを押しつける名称は嫌いだった。受け取る響きが勝手に解釈され、一人歩きして広がってゆく名称が好きだった」

「TOO MUCH」は、美大生たちの提案から飛び立ち、ロックフェスティバルに化けて行く。イージーライダー、ウッドストック、若者文化はサブカルチャーと称され、政治、経済、宗教を超え、世界に新しい価値を求めた若者たちは70年代に向かうのである。
http://toomuch-music.com/1.html



2015年8月31日月曜日

新国立競技場の建築で一躍有名になったザハ・デザインに近いが、このデザインはマンタのオーガニックな形態にインスパイアされた。人工を模倣するとコピーと言われるが、自然を模倣してもコピーとは言われない。


ジャック・ルージュリはマンタのオーガニックな形態の影響を受け、フローティング研究センターを設計する。ルイジ・コラーニや新国立競技場の建築で一躍有名になったザハ・ハディドのデザイン観に近いモノを感じる。















また一世を風靡したルイジ・コラーニは非現実的な未来派デザインで、多くの人を魅了したデザイナー。エアロダイナミクスを活用した流動型デザインのオーガニックシェイプ。
















マンタを気に入って成形されているバイオニックコンセプトだ。この国際的な大学海洋漂流センターは、非常に長い期間の間、世界中の研究者、教師と生徒をホストすることを目指す。




























「Meria」市は「海洋生物多様性の観測と分析に特化した浮動する科学都市になるように設計されており、900メートルの長さで500メートルの幅、2050年にSeaOrbiterのネットワークによって開発された学際的なプログラムに対応する。

http://www.designboom.com/


2015年8月30日日曜日

浮世絵には禁令で描いてはいけないものが決められていた当時、メッセージをコードの中に埋め込んで隠した。ただ浮世絵の制作側の人々のコミュニティーだけに解る「浮世絵コード」を埋め込んで、鬱憤晴らしをしていたのだ。

浮世絵にはコード(暗号)が埋め込まれている。「浮世絵コード」という興味深い話を牧野健太郎さんから聞いた。牧野さんはNHKプロモーションの役員で、ボストン美術館との浮世絵デジタルプロジェクト・プロデューサーでもある。以下受け売りである。

浮世絵には禁令で描いてはいけないものが決められていた当時、メッセージをコードの中に埋め込んで隠した。ただ浮世絵の制作側の人々のコミュニティーだけに解る暗号を埋め込んで、鬱憤晴らしをしていたのだ。

































魚、橋、市場、舟、波、ネコ、亀、着物や建具の模様など、浮世絵のなかで一見ごく自然に描かれているモノやコトの中には、江戸時代ならではの下町人情あふれる江戸の町人文化、風俗、社会を読み取るコードが多く見られる。これらの意味を帯びていて秘められた「暗号」を読み解く(デコード)必要がある。

広重の江戸百の「浅草田圃 酉の町詣」を事例に伺ったことを思い出しながら暗号を解読してみる。まず絵の改印は安政四年十一月で、お酉さまの月にあたる。鷲神社は新吉原の裏手にあり、絵では遠景に草田圃酉の町の賑わいを、近景に新吉原の遊女の部屋を描いている。

新吉原で富士山が見える部屋は西向きの部屋だ。西の端に位置する台東区千束三丁目ということまでわかる。ここでお酉さまを眺める猫は遊女のメタファーだ。屏風の裏が見えているので、その向こうにはネコの飼い主の遊女がいるはずだ。

熊手のかんざしは、福(客)を取り込めるという意味になる。この手ぬぐいも文様から、どこの旦那かがわかるという趣向になっている。猫を描いたのはこの時期遊女を描くのタブーであったからで猫自体もコードと言える。

ただ美しいなあと思って見る浮世絵鑑賞も良いのだが、当時の江戸の人々の好奇心や洒落を読み解いて(デコード)して楽しむことも良い。
謎解き 広重「江戸百」を参照した。