2011年10月6日木曜日

僕のカリスマ、スティーブ・ジョブスの死に関する言葉を付けておきます。一時は日本の禅寺で修行僧になろうと考えていたジョブズだけに重みのある言葉です。また生きている我々へのメッセージでもあります。

米テレビ局CBSの番組「What's Trending」のTwitterアカウント(@WhatsTrending)が、Apple会長のスティーブ・ジョブズ氏が死亡したと伝えたが、すぐに撤回して謝罪した。が、、、やはり今日死亡が確認された。残念!鎮魂。
















ジョブズ:私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て、外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て、こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

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