2020年7月30日木曜日

百貨店にとって、包装紙は最も重要なブランドアイテム

三越


昭和50年頃だったろうか? 東京の地下鉄銀座線には、何と三越の紙袋が車体いっぱいに、リボンをつけて現れたことがあった。お中元や御歳暮の季節にもなると目につくのが百貨店の包装紙。中身は何であれ、包装紙に包まれれば百貨店ブランドと認知される。

食品から文化まで何でも商品として売る百貨店にとって、包装紙は最も重要なブランドアイテムといえるだろう。百貨店の包装紙には、どこかテキスタイルデザインの影響が感じられるが、それは日本の老舗百貨店が呉服屋から発展したことと関係があるのかもしれない。
伊勢丹















明治時代の呉服屋は、品物を風呂敷に包んで得意先に持って歩いていた。たとえば伊勢丹は、丸に伊のマークがいくつも染め抜かれた真っ赤な風呂敷を使っていたそうだが、その広告効果が抜群で、伊勢丹の発展に大いに貢献したとある。

戦前まで、百貨店の包装紙の目的は「商品の保護、衛生・安全、店名のPR」だった。それに「ブランド価値を高める」という意味を加えたのが三越だ。それまでの包装紙は地味な茶色のハトロン紙に店名が印刷されたものだったが、三越は1950年に白地に赤い斑点の包装紙を誕生させる。

デザインしたのは洋画家の猪熊弦一郎で、白い紙に不定形に切り取られた赤い紙を貼って作ったという。三越の包装紙の成功で、多くの百貨店がカラー包装紙を制作するようになった。今も当時の雰囲気を残しているのは、高島屋や松坂屋。バラやカトレアの花を描かれた華やかな包装紙は、贈答品として使われることを想定したデザインである。
西武デパート






























広告効果に注目して、包装紙を「動くポスター」と考えたデザイナーもいる。映画タイトルのデザインで有名なソウル・バスは、1965年にオープンした京王百貨店の包装紙などを担当し、新興百貨店にとって客が持ち帰る包装紙やショッピングバッグが最も有効な広告媒体と考えた。50年代の映画のタイトルアニメを思わせる軽妙なイラストで鳥の群れを描いた包装紙は、マティスの切り絵と比べても遜色ない隠れた名作だと思う。
京王デパート














現在、多くの百貨店で使われている包装紙は80年代以降のCIブームの中で制作されたもので、コーポレートマークがデザインの核になっているものがほとんど。すっきりと整理され過ぎていて面白みに欠けるのが残念だ。

伊勢丹

















買い物とは楽しいことなのだから、もっとワクワクするような表現があってもいい。昨年、東郷神社のフリーマーケットで茶碗を買ったら昔の西武デパートの包装紙で包もうとしたので、あわてて「その包装紙をそのままください」と言ってもらって帰った。

作者は陶器のデザインで有名なスティグ・リンドベリ。そのモチーフは、リンドベリ氏自身の日本観によるもので、伝統コケシ、魚、猫、西欧的な洋食器、パイプ、ミシン等の絵柄が入り混じり、当時の新しい生活の型を生み出した日本の状況を表現している。
リンドベリの包装紙
















リンドベリの包装紙を見た瞬間、70年代の雰囲気をリアルに思い出した。デザインが記憶を解凍したのだろう。包装紙のように、日常的に親しむデザインの面白さは、その時はさほど考えない空気のようなものだが、意外にしっかりとインクや紙の臭いや手触りとともに記憶に刻印されているのに驚く。


2020年7月29日水曜日

コンセプター坂井直樹の近未来ラボ、昨日からオープンしました。

 コンセプター坂井直樹による会員制オンラインサロン。幅広い分野から坂井の注目する異才ゲストを招いた定例対談をはじめ、リアルな交流の場も様々展開。 激変する世界を逞しく乗り切るためのインサイトがここにある。














坂井直樹が多くの示唆に富んだ異才のゲスト陣との定例対談を配信し、加えてオンライン相談会、コラム発信、リアルなオフ会・食事会を開催するコミュニティ。 
1回:廣田周作 様 (Henge Inc. CEO 
2回:福田淳 様 (Speedy, Inc. 代表取締役社長)  
3回:猪瀬直樹 様 (元東京都知事/作家)  
4回:スプツニ子! 様(アーティスト)

メイン・コンテンツの定例対談では、坂井の注目する起業家、経営者、タレント、クリエイター、スポーツ選手など、分野、世代、性別、国籍を横断した多彩で異才のゲスト陣を迎えて、サロン会員と双方向で学びの場を提供いたします。
リンクを貼っておきます。
https://lounge.dmm.com/detail/2806/

会員制のコミュニティーだからこそできる核心に迫った対談を配信していきます。
よろしければ、ご参加ください。
どんどんアップしていきますのでお楽しみに。





2020年7月28日火曜日

車の製造原価はどうやって決まるのかを知っていますか?昔は業界では「車は1kgで1,000円」などと言われた。

新車の製造原価はメーカーの極秘情報となっているため、詳細が一般に知られることはない。しかし、複雑な原価計算を抜きにして製造原価の話をひと言でまとめるとしたら、それは「重さ」と「生産台数」ということになる。例えば、新車の開発に500億円かかり、生産設備に200億円の新規投資が必要な場合、合計金額は700億円になる。

このモデルを1ヵ月に5000台、4年の生産期間中に24万台製造するとすれば、1台あたりの開発費と生産設備の負担は約29万円になる。ガソリン車の部品点数はエンジンだけでも約1万点、車全体では10万にのぼる。EVに使われる車全体の部品の数は約1万。実にガソリン車の10分の1になる。












こんな精密機械でもトヨタ・ヴィッツ1.0Fの車重は970kgで価格は1,291,091円。価格を重量で割ると1kg当たり1,331円になる。なんか鉄の量り売りみたいで悲しくなる。このあたりが製造メーカーの暗い未来が見えてしまう。ちなみにトヨタ・カローラアクシオ1.5Xの車重は1,090kgで価格は1,584,655円だ。

価格を重量で割ると1kg当たり1,454円だ。つまり、カローラはヴィッツよりも120kg重くなって293,564円高くなっているが、1kgあたりの車重に直すと、その差は123円しか無い。

昔は業界では「車は1kgで1,000円」などと言われた。レクサスのような高級車は4,000円を超えるものも珍しくはないが、1,000〜1,500ccクラスの小型大衆車は今でも1kgあたり1,000円台となっている。最近はプラスチックの部品も増えたが、車は鋼板を加工して組み立てている以上、大まかに行ってしまえば、「車は重いほうが高い」

米EV大手テスラの組み立て工場の動画を見て欲しい。パチンパチンとシャシー(車台)にモーターと電池を貼り付け、上からカパッとボディーを被せれば出来上がり。まるでプラモデルだ。組み立て作業のほとんどはロボットがこなしている。
参考記事:https://car-moby.jp/article/car-life/useful-information/car-cost/



2020年7月27日月曜日

アップルコンピュータ創立CEOのスティーブ・ジョブスのスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ

PART 1 BIRTH


ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
 

私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 

私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。

で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 

しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。











PART 2 COLLEGE DROP-OUT
 

こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。

自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。

ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
 夢物語とは無縁の暮らしでした。

寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 

しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多く
は、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。




















PART 3 CONNECTING DOTS
 

リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。

そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。

それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。
 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。

で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
 

もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。

もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできな
い、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこ
そバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。

点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。































PART 4 FIRED FROM APPLE

2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。

そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。

けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 

自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。

このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。 
 

ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
 

その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 

それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。

NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。

だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。

そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。




























PART 5 ABOUT DEATH
 

3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。

それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。

それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。

何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。

そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
  
jobsが愛用していた腕時計

Seiko rimette in vendita l’orologio che piaceva a Steve Jobs
















PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER


今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。

主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。

それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。
 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。

私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
 

これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。

天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。

今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。

だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。
jobsが愛用していたニューバランス















PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンロー
パークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。

パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 
















スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。

「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.
 ご清聴ありがとうございました。
the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳 市村佐登美

スチュアート・ブランドと一緒に”The Whole Earth Catalogue”を制作していたのが私の友人ダドリー・ディゾニアだ。





2020年7月26日日曜日

アマチュアだからこそ時には破壊的で革命的なことができる

もう一度「坂井直樹」を理解して頂くために約12年前に書いた紹介文を投稿します。
なお来週の月曜日 2020年7月27日の午後からオンラインサロン「コンセプター坂井直樹の近未来ラボ」を開設します。

僕は19歳のときに渡米して、タトゥーTシャツを作って売るという仕事からデザインの世界に関わるようになりましたが、58歳(現在72才)になる今でも、デザイン業界の人たちから「坂井さんは何を業種としている人なのかわからない」といわれることがあります。そういわれてしまうのも仕方のないところで、いわゆる“デザイナー”という、職人気質で細分化された世界とはもっとも離れた場所に立っているのが僕という人間だと思っています。

確かに40歳前後の一時期、僕は精力的にモノ作りに関わってきましたし、その中には日産Be-1、オリンパスO-Productなどのプロダクトデザインもあります。でも、僕自身は決してプロダクトデザイナーではない。むしろ、僕のような素人が従来の「四角い車」という記号を壊して、Be-1のような丸い車のコンセプトワークを行ないました。このようにアマチュアだからこそできる破壊的で革命的な何かに興味を感じてしまうタイプの人間なのです。

「コンセプター」。自分自身のことをそう呼んでいます。自分はデザイナーではないし、ディレクターやプロデューサーでもない。もともと思いつきで使い始めた肩書きなので明確な定義はありません。デザイナーやディレクターといった仕事が渾然一体となった姿かもしれませんし、それらを包括する上位概念であるかもしれない。いずれにしても、ひとつの形にとらわれない僕自身の好奇心を表現した肩書きだと思っています。

マーケティングとブランディング、そしてデザインが3つの柱

では、コンセプターとして僕がどんなビジネスをしているのかですが、なかなか同じようなビジネスを行なっている企業や人間が少ないので、説明が難しいところですが、ナイキという会社が僕のビジネスのスタイルとかなり近い形態だと思っています。ナイキは自社で製品を作っているわけでも流通を行なっているわけでもありません。彼らが手がけているのはブランディングとマーケティング、そしてデザインです。

コンセプターとして僕が行なっているのもまさにこの3つで、企業の持っている感性やブランドイメージを体現するため、そしてコンシューマーのエモーションを掴み、それをプロダクトに反映するために、デザインを始めとしたクリエイティブな要素をトータルで企業に提案しているわけです。











最近では特にマーケティングに大きな関心を持って力を注いでいます。もともと僕は人のエモーション、気分とか情緒というものとプロダクトがどう関わっているのかということに昔から関心を持っていて、それについていろいろと考察しているうちに「人間というのは自己表現のひとつの形態としてモノを購入する生き物だ」ということに気がつきました。

どういうことかというと、人間というのは一定の価値観や趣味、センスを持っており、モノを買う場合でもその価値観に照らし合わせ、一貫性を保てるようなモノを選びます。自分がそのモノを使っている姿を想像し、それが他者の目にどう映るか、それが適切な自己表現になっているかを感覚的に判断しながらモノを買っているのです。
であるならば、消費者が持つ気分や情緒、センスといったものを詳しく分析できれば、彼らが次に何を欲しがるか、どういう消費行動を取るかという“ニーズ”が見えてくる。

これが僕の提唱する「Emotional Program」というマーケティング手法ですが、この考え方はマーケティングだけでなく、デザインも含めたプロダクト作りにも十分応用できますし、そうされるべきなのです。ところが企業のプロダクト、特にデザインに対する意思決定というのは、必ずしもマーケティング的に論理的ではありません。極端にいえば権限を持つ人の好みでプロダクトの最終デザインが決まり、しかもその人はデザインやマーケティングに対して正しい理解を持っていないということがしばしばあります。

本来はデザインも好き嫌いではなく、十分なマーケティングリサーチとその分析から割り出されるべきだと思うのです。そういうことを外部から提案し、アドバイスしていくのが僕の現在の仕事です。クリエーターの持つクリエイティビティを、マーケティングという方法論を使って企業のニーズと結びつけるブリッジ役といえるかもしれません。

若い無名のデザイナーを発掘、育成する

それとは別に手がけているのは、20代の無名のデザイナーを世に出すという仕事があります。僕はプロダクトデザイン、インテリアデザイン、グラフィックデザインなど、非常に細かく分業化されているデザインの世界に違和感があります。そもそもルネサンス時代には、一人の人間が100ぐらいのスペシャリティを持っていることなど当たり前でした。ダ・ヴィンチはその代表です。

分業という方法論は産業革命以後に生まれたもので、一人の人間が同じことをしていた方が効率的だという考え方ですが、これは産業の意志であって、クリエーターの意志でも個人の意志でもない。そういう産業の論理にとらわれている“専門家”よりも、柔軟な好奇心を持ったクリエーターの方がずっとエキサイティングだし、僕は好きです。

ところが商売という視点で見ると、特定の分野を専門にしている人の方が仕事を取りやすいという現実もあります。インテリアもやります、プロダクトもできますという人間にはなかなかスポットライトが当たりにくい。そこで、僕はそういう柔軟な感性を持ちながらも、無名のままでいる若いデザイナーと一緒に仕事をしていく中で、彼らに僕自身のキャリアを伝え、チャンスを与えていきたいと思っています。

いま、そういうデザイナーが外国人も含めて10人ほどいます。グエナエル・ニコラも出会った頃はそうでしたし、11月に発表されたauの新しい機種携帯電話のコンセプトモデルのデザインを手がけた田村奈穂もそうです。こちらはいわばプロデューサー的な仕事ということになります。

こんなふうにいろいろなことに手を出しているせいで、「坂井は何をしているのかわからない」といわれてしまうわけです。人生はあまりにも短いですからね。やりたいことが多過ぎてとても納まりきらず、「○○一筋」というようにはとても生きられないのが僕という人間なのです。


2020年7月17日金曜日

「好奇心とイノベーション」目次


激変する世界を逞しく乗り切るヒントがここにある――
未来を見据えるコンセプター 坂井直樹が
人工知能、アート、ビジネス、働き方、生き方について
イノベーションの最善線に立つ8名と対談!
【対談者】
松岡正剛(編集工学者)/猪子寿之(チームラボ代表)/陳暁夏代(DIGDOG 代表)/成瀬勇輝(連続起業家/ TABI LABO、ON THE TRIP 創業)/清水亮(ギリア代表取締役社長)/山口有希子(パナソニック コネクティッドソリューションズ社常務 エンタープライズマーケティング本部 本部長)/中川政七(中川政七商店 代表取締役会長)/田中仁(ジンズホールディングス代表取締役CEO)
https://amzn.to/3gZX826









2020年7月14日火曜日

コンセプター坂井直樹による会員制オンラインサロン。

幅広い分野から坂井の注目する異才ゲストを招いた定例対談をはじめ、リアルな交流の場も様々展開。 激変する世界を逞しく乗り切るためのインサイトがここにある。




























この度、私坂井直樹がオンラインサロンを開設することになりました。オープンは7月末予定です。 早く皆様に詳細をご報告できることを楽しみにしております。是非皆さん参加して頂ければ嬉しいです。 こちらでは定例対談の豪華初回ゲストをご紹介させて頂きます。お楽しみに!
1回:廣田周作 様(Henge Inc. CEO) 対談テーマ:一次情報とイノベーション 
2回:福田淳 様(Speedy, Inc. 代表取締役社長) 対談テーマ:動画エンタメ
3回:猪瀬直樹 様(元東京都知事/作家) 対談テーマ:(企画中) 
4回:スプツニ子! 様(アーティスト) 対談テーマ:(企画中) 

2020年7月12日日曜日

デジタルトランスフォーメーション(DX)を国家レベルで考えるケース

実際のところ、DXは企業改革のバズワードとなっている感じがある。しかし、企業が所属する国家の影響を受けることは明白だ。つまり企業のDXも国家レベルのDXの影響を受けるということでもある。イーロン・マスクは中国に頻繁に出張し、着実に成果を上げているという。

COVID-19の影響をを受けた時価総額の逆転現象の代表が米テスラ。電気自動車の量産体制が整って損益も黒字化し、コロナ禍での勝ち組を探すマネーが集まった。テスラの昨年の年間販売台数はトヨタの約30分の1にすぎないが、時価総額でトヨタ自動車を抜き業界トップになった。















彼が抱える主力ビジネスであるTeslaは既に上海に巨大な工場をロールアウトさせ、同社が生産するEV(電気自動車)に自動車消費税10%の免税を取り付けたという。テスラを始め、アメリカの自動車産業自体は頑張っているが、EVの売上は伸び悩んでいる。2020年になっても世界のEV浸透率は12%程度で、2025年で32%程度となっている。

この市場規模が従来通りの大量生産大量販売で利益を出すというメーカーの意欲を割いているのだろう。トヨタは全車種へのEV展開を従来の2030年から2025年に前倒しすると発表した。













中国は国を挙げてEV化に取り組み、2025年までにEVとPHVのシェアを20%まで引き上げる予定であるという大きなリードを得ている中国は、さらにEV化を加速させるために国家として積極的に推奨活動を展開しており、その証拠の一つがイーロン・マスクの訪中とテスラへの待遇である。

これをデジタルトランスフォーメーション(DX)視点で考えると、国家とDX、もしくは企業経営とDXの関係性の重要性が見えてくる。DXのような先進的な技術やイノベーションは、少なからず過去の成功体験と収益構造を破壊することになる。DXプロジェクトを推進するなら企業のトップが、企業のDXを推奨するなら国家がリスクを取って、DXプレイヤーの動きやすい環境を作る努力をしなければならない。イーロン・マスクの動きはそんな象徴なのかもしれない。


2020年7月10日金曜日

ギグワーカーと「ギグエコノミー(経済)」

そもそもギグワーカーとは何だろうか。ギグは音楽用語でライブハウスなどに居合わせたミュージシャンらの即興のこと。短期の仕事に従事する人を「ギグワーカー」という。またこれらの「ギグワーカー」を前提に成り立つビジネスや市場を「ギグエコノミー(経済)」と呼ぶようになった。主にネット経由の仕事を指す。私から見ると自由で職業を観光するような感覚はうらやましいと感じることもある。私は若い頃から起業してすぐ経営者になったので、そういう転職の自由さとは無縁だった。













単発の仕事は昔からあったが、スマホで人と仕事を手軽に結びつけられるようになりTVCMも多くなり注目が集まった。消費者に身近な分野では配達や接客、家事代行など以前からあるサービスがネットを使った働き手の確保に熱心だ。料理を自転車などで配達する「ウーバーイーツ」が代表例で、配達員には拘束時間ではなく1件ごとに報酬が支払われる。

語学












 や料理などを教える人もいる。ジョブの売り方もメルカリ化している。米国では5千万人、日本でも1千万人を超す人たちが副業を含めたギグワークに従事しているという調査データもある。最近増えているのは主にネットで仕事をする人たちだ。ウェブサイトのデザイン、映像の編集、プログラミングといった分野ではギグワーカーの活動が目立つ。米国では5千万人、日本でも1千万人を超す人たちが副業を含めたギグワークに従事しているという調査データもある。

日本でもクラウドワークス社やマタビ社(副業斡旋エージェント)では登録ベースでは昨対で30%から50%増加している。増加の理由は正社員がリモートワークなどの働き方改革で成果型になり、副業可もありで、そもそもギグワーカー化しているからだろう。まるでPMのように個人が個人に発注することもある。ちなみにこのギグワーカーは年間2400万円の収入がある。

















一般的にはコンビニ、ファーストフード店、配送などが多いが、メルカリや、ウーバーイーツなど個人が収入を得る方法は多様になった。ギグワーカーの目的も多様だ、もちろん現金収入を得る目的が基本にあるが、異なった職業の体験価値と言う目的は、まるで大人版キッザニアだ。あるいはウーバーイーツなどではダイエットやトレーニング目的も多い。流行のDXの推進などでITエンジニアは特にギグワーカーが必要だ。自社の社員が持たない専門性を持ったギグワーカーは企業の生産性を上げるためにも貴重な存在だ。『働きたい時に働きたいだけ働きたい場所で働く』という人々が増えたのだろう。





2020年7月7日火曜日

かなり突っ込んだBe-1開発の裏話

久しぶりに、そしてかなり突っ込んだBe-1開発の裏話、つまり未公開の情報がたくさん解放されています。清水潤さんの根回しの力には驚かされました。映画フォードvsフェラーリっでも垣間見えたように社内の壁は何重にも重なり合いサイロだらけでした。清水潤さんの社内の壁を突破していった。デザイナーの役割には①デザイン作家(創作プレイヤー)②デザイン企画者(プロデューサー)③デザインの大組織を統括運営するデザイン経営者の3つの役割があるが、清水さんはこのデザイナー三種の役割すべてにおいて第一人者であり、日本の自動車デザインの代表的存在でした。雑誌OLD- TIMER 2020年8月号 No.173からの4ページです。