2010年12月20日月曜日

さて、クリストは云うまでも無く「包む」作家なのだが、このアーティストの名を聞く度に、昔顧客から聞いた或る話を思い出す…。悲劇?喜劇?

アートとは何なのか?小説家の平野啓一郎さんのtwittterから、クリストの作品を「開けちゃった」話。に紹介されている話があまりにも面白い悲劇?喜劇?なので一部転載します。ソースは「桂屋孫一のニューヨーク・アート・ダイアリー」「アートは変容である。」このタイトルは、記録映画「CHRISTO IN PARIS」の中での、現代美術家クリストの言葉。彼のアートは「ラップされるまでの過程」にこそ、その本質が有ると云う事を再認させてくれるからだ。













さて、クリストは云うまでも無く「包む」作家なのだが、このアーティストの名を聞く度に、昔顧客から聞いた或る話を思い出す。それは未だ80年代の事。そのコレクターは、ニューヨークのオークションで、念願のクリスト作品「ラップされた箱」を落札した。支払いも済み、後は作品が届くのを待つばかりところが、彼には出張が入ってしまい、作品が届いた時には生憎別の大陸に居たので、仕方無く彼の妻が作品をシッパーから受け取った。がしかし、此処から「悲劇」は始まった()

外国からのパッケージを受け取った妻は、何だろうと開けて見ると、何やら「紙で包まれ、紐で縛られた箱」が出て来た。そして妻は、当然の様にその紐を解き、包みを外したのだった中身を見る為に。さて出張から帰って来た夫は、楽しみにしていた「クリスト」の作品の有り様を観て、愕然とする。何と云う事だ紐とラップが外されているでは無いか!夫は妻を怒鳴り叱責したが「後の祭」、良く考えれば「現代美術素人」の妻に、どう観ても唯の「包まれた箱」にしか見えないモノが、「アート作品」である等と判る訳が無い























落胆した夫は気を取り直して、オークション会社を通し、クリストとコンタクトを取った開梱された作品を、アーティストに今一度「包んで」貰う為である。彼はクリストに、「妻が包みを開けてしまったのは『事故』で、他意は全く無かった。もしもう一度「包んで」頂けるのなら、その料金をお支払いしても良い」と、懸命に訴える手紙を書いたのだ。そして、その手紙を読んだクリストは、彼の「依頼」を丁重に断ったのだった!その理由は上に述べた様に、彼のアートの本質は「包む行為とその過程」にこそ、存在するからである。一度包んで開けられたモノは二度と包まない、と云う事なのだ。件の「作品」は、今ではその梱包を解かれたまま、「『元』クリスト作品」として、コレクターの手元に有るそうだ()。桂屋孫一http://d.hatena.ne.jp/art-alien/20100228

このブログは、ヤフーで書いていた「デザインの深読み」を引っ越しました。ただしそのまま全部引っ越して、古くからの読者に退屈されないように書き直したり、画像を変更したり、動画を入れてたりしながら再編集しています。もちろん新規のネタも取り入れながらまったく新しく書いたりもしています。ただこのクリストのネタは格別面白いので、ネタのソースである桂屋孫一さんhttp://d.hatena.ne.jp/art-alien/@hiranok平野啓一郎さんに敬意を払いながら、ほぼ加筆修正無し(画像のみ追加あり)に掲載します。

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