2015年11月19日木曜日

マクルーハンは、「われわれはバックミラーを通して現代を見ている。われわれは未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」と述べている。

最近マクルーハンのメディア論が気になってしようがない。彼が生きた時代のメディアの主役はテレビだったのに、「電気文明は世界を村落に変える。」など語っているが、これこそインターネットのことでしかない。ネットは村どころでは無い。繋がっていれば感覚的には隣の部屋の距離でしか無い。書籍「デジタルマクルーハン」/服部 桂 (翻訳)自体がインターネットの出現と、その影響力まで書いているようにしか思えない。

マクルーハンは、「われわれはまったく新しい状況に直面すると、つねに、もっとも近い過去の事物とか特色に執着しがちである。われわれはバックミラーを通して現代を見ている。われわれは未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」と述べている。これは、メディアの進化に関してどのような意味をもっているのだろうか?メディアの歴史をたどってみれば、その例はいくつでも見つけることができる。

例えば、電話は最初「話す電報」と呼ばれていた。自動車は「馬無し馬車」、ラジオは「無線機」という具合だ。どの場合においても、バックミラーの直接的な影響は、新たなメディアの最も重要かつ革命的な機能を部分的に不鮮明にするものだった。マクルーハンは、旧いメディアは新しいメディアのコンテンツになり、そこで新しいメディアと誤解されるほど顕著にその姿を現わすことになることを指摘した。

これはバックミラーの解釈の一つで、私たちの注目を前方から来て目の前を通しすぎたばかりのものへと向け直すものだ。例えば、彼のグローバル・ヴィレッジという概念もまた、もちろんそれ自体がバックミラーだ。つまり、新しい電子メディアの世界を古い村の世界を参考にすることによって理解しようという試みだった。

「ウェブは、新旧のいろいろなことを新しい方法で実証できる場であり、バックミラーの紛れもない宝庫だ」と著者はいう。例えば、インターネットでリアルオーディオを聴くとき、それをラジオと考えることもできる。インターネットで調査するとき、それは図書館を利用しているかのようだ。オンラインのチャットルームは、カフェと同じようなものだと感じる。















この有名な写真をアーウィットのとらえる決定的瞬間は、観る側をその場にひきこむかのような魅力にあふれている。さらに言えば、とてもハッピーなシチュエーションが多い。キスする男女をバックミラーでとらえた、フェアグラウンド・アトラクションのアルバム・ジャケットを飾った有名な写真。
http://ism.excite.co.jp/art/rid_Original_05623/pid_2.html
http://mediaresearch.blog.jp/archives/1807983.html

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