2015年6月28日日曜日

“機械の美しさをどうやってパッケージデザインしようか”という「機械美」と「機能美」の違い。


ロンドン在住のivo ivanovのバイクの写真を朝から見たら揚がること甚だしい。人はなぜか機械美に引きつけられる。バイクのむき出しのエンジンや機械式時計の裏から見える歯車など精緻に作られた機械。それから生み出される速度や時間のダイナミックな動きをイメージして人は魅せられるのだろう。
































人間に当てはめて考えてみると、「脳」は「エレクトロニクス」のように、そのパルス(電気信号)の動きは見えない。しかし筋肉はマシンのように躍動感のある動きが見える。僕らが青春を送った60年代ごろまでは “機械の時代”だった。その後の数十年は、機械でやってきたことをエレクトロニクスに置き換えてきた時代。















自宅の電話もつい最近まではダイヤルを物理的に回して電話番号を入力した。これは機械の部分が存在したということだ。今の電話は機械の部分はほぼ喪失してエレクトロニクスに化した。中を開けても半導体のついた基盤しか見えない。そして多くのプロダクトもエレクトロニクスになった。















”川崎和男さんのブログから「デザインは機能美ではありえない」から「機能的なモノは美しい」とか、「機能美がデザインの目標」などというのも間違いです。”私の言葉はもう少し穏やかで「すべての美しいモノを機能美だけで語ることは出来ない。」






https://www.behance.net/gallery/27280609/2015-BIKE-SHED-LONDON



0 件のコメント:

コメントを投稿