2013年12月7日土曜日

木村英輝氏のアートショップ「キーヤンスタジオ」の祇園本店がオープンしてたので誘われて見に行った。 還暦から絵を描き始めて10数年が経って、筆はますます自由に走っていた。


















今回はいくつかの用件もあり、京都に四日間滞在した。そのたびの途中で木村英輝氏のアートショップ「キーヤンスタジオ」の祇園本店がオープンしてたので誘われて見に行った。還暦から絵を描き始めて10数年が経って、筆はますます自由に走っていた。

















木村英輝:それは「伝説のイベント・プロデューサー」として、ロック・アーティストやクリエーターたちより語りつがれた男の名前。そんな木村英輝が今、最も精力的に活動する現場は「壁画の世界」だ。それは、額装され、ただ飾られている絵画ではなく、ロックな彼の生き様がそのまま街に戯れ、躍動と感動を語りかけてくる壁画だ。

















では何故、今「壁画」なのか?そして、京都を舞台に活動してきた彼の、「歩んだ道と京都の磁場」の関わりは?京都市動物園の類人猿舎にゴリラの絵を描き始めたという、木村英輝に会うため、彼の作品「白い蓮、ホワイト・ロータス」がある、祭の余韻 さめやらぬ祇園石段下の「京茶カフェ」を尋ねた。

















還暦から絵描きとなった、まさに人生をロックンロールとして生きる木村英輝の壁画に、京都の街を歩くとあちらこちらで出会える。勢いと切れ味、そのライヴ感が感動を呼ぶ。

















木村英輝:「僕は京都市立美術大学(現・芸術大学)の図案科に'61年に入学した。当時、タブロー(額)におさまって美術館や画廊に『美術作品でございます』と飾られた絵に興味が持てなかった。そんな僕に刺激を与えたのは、教授、リチ・リックス上野女史の壁画だった。

















彼女はオーストリア、ウィーンから、夫で建築家の上野伊三郎教授と連れだって京都にやってきた。バウハウスに象徴されるヨーロッパ近代芸術運動の渦中で活動した芸術家だったリチ教授は、世界に通じるクリエイティブ精神を僕達に伝えた恩師でもあった。

















彼女は東京、日生劇場のレストラン『アクトレス』の壁画を描いた。その仕事を幸運にもボクは手伝った。壁面から天井へと拡がる彼女の作品が見る人を包み込んだ。'62年、まさにその体験が、今日、壁画を描くようになった僕の原点といえる。

















絵が趣味という、コレクターに買ってもらう絵は描きたくなかった。フレームにはめられた絵が嫌いだった僕に、彼女は壁画の魅力を教えてくれた。壁画は評論家に芸術と認められる前に、道すがらに『カッコイイ』と感じてもらえるものであって、芸術云々ではなく、ファッションと同じ感覚でただシンプルに『カッコイイ』、そんな心の共感ができるもの」(以上WEBの文章から抜粋)

続きは、、、
http://www.ki-yan-stuzio.com/?mode=f2

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