2011年10月9日日曜日

「2011年に感じる可能性は、何がデザインの主体なのか?ということ」テレビリモコンが無くなる日

2011年においてデザインというのは、「インターフェイス・デザインのこと」という時代になるかもしれない。2007年にiPhoneが発売されてからケータイのプロダクトデザインに対するモチベーションが急激に萎えたことを思い出した。あれほどの洗練されたUIの魅力に、パッケージデザインだけで立ち向かう気力が失せたのだ。予兆はあったものの「マテリアル」から「インマテリアルへ」の急激なデザインの主体の変化だった。以前は物理的なプロダクトがデザインの主体だった。その役割もエンジニアがスペックを設計し、デザイナーが外側のパッケージをつくるというように境界線が明確だった。しかし、インターネットと物理的なモノの間にも、価値の主体がネットワークの向こう側にあるクラウドになったり、ソフトウエアそのものだったりと、デザインの主体が曖昧になってきてきた。

アップルのiPhoneやiPadのヒットによって,世の中の人たちがやっとユーザー・インターフェースの重要性をかなり認識するようになった。しかし,その技術の進化への度合いは、さほどではない。未だタッチパネルのGUIでしかない。
これらの問題意識の象徴として、テレビリモコンほどひどいUIは無い。メーカーによって様々に異なる仕様とレイアウトがユーザを混乱させている。実際のところアップルTVのリモコンはたった三つのボタンで操作できる。一方、任天堂のWiiは、今のところゲームという限定した用途だが,ジェスチャによる操作を身近にした。マイクロソフトxBoxのKinect(キネクト)は、もう一歩進んでコントローラというハードを用いずに操作ができる。共にジェスチャや音声認識によって直観的で自然なプレイを可能にした。これらの技術を応用すれば、将来テレビや自動車までコントローラというマテリアルを持たずにマシンを操作する事が出来る可能性さえ出てきた。インマテリアルUIの本格的な始まりだ。

デザインとテクノロジーの境界線がなくなる時代には、プロダクトとはネットワークの向こう側と物理世界にいる我々の間に存在しているインターフェイス(窓口)でしかなく、プロダクトの価値は物理的なデザインでもなければ、ハードとしての機能でもないと思う。チームラボの言う“New Value in Behavior”。つまり本来の目的を達するために行う日常の何気ない行為としてのインターフェイスに全く別の価値を見出そうというデザインの新しい時代の到来だ。

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