何だか梅雨のような天気が続きますね。夏は夏らしくが理想ですが、、さて、そんな月曜日に粘菌の話です。
生物兵器として作られ、暴走した巨大な”粘菌”と”王蟲”の群れが合流する中で、ナウシカが王蟲の体に付着した胞子から芽生える音を聴くところ。 |
いつだったか?松岡正剛さんが語る、「プレ講演 民俗という想像力」を聞きに行った。テーマは日本最初のエコロジスト「南方熊楠」(みなかたくまぐす)、教科書に出ていた名前として彼の名前は覚えていたが、受験戦争の一夜漬けの記憶では、彼が民俗学者であったことくらいしか記憶は無かった。
松岡さんの講義を聴いていて、僕が印象に残った南方熊楠は日本最初のエコロジストであったこと、そして以下の三点。当時の彼の履歴書は巻物で8メートルに及ぶ。(そんなに書くことがあったことがすごい)大英博物館で一万頁に及ぶ世界民俗学の書き写しを行っている。(どこで英語を学んだのか?)科学雑誌「ネイチャー」に数多くの論文を発表。(約100年前の日本で、すごいグローバルな人)
以下「南方熊楠」の要約
和歌山県が生んだ世界的な博物学者南方熊楠。幼い時から驚くべき記憶力の持ち主で歩くエンサイクロペディア(百科事典)と称された反骨の世界的博物学者。19才の時に渡米、粘菌の魅力にとりつかれ、その研究に没頭、サーカス団に入ってキューバに渡るなど苦学しながら渡英。その抜群の語学カと博識で大英博物館の東洋関係文物の整理を依頼される。この時に一万頁に及ぶ世界民俗学の書き写しを行っている。一方、科学雑誌「ネイチャー」に数多くの論文を発表。33才で帰国、当時の彼の履歴書は巻物で8メートルに及ぶ。紀州は田辺に居を構えると精力的に粘菌の研究に打ち込み、その採集のため熊野の山に分け入り、数々の新種を発見。 一切のアカデミズムに背をむけての独創的な学問と天衣無縫で豪放轟落な言動は奇人呼ばわりされたが実はやさしい含羞の人であり、自然保護運動に命をかけて闘いぬいた巨人であった。
0 件のコメント:
コメントを投稿