2020年4月24日金曜日

大きな感染症は常に権力の変容を生んできた。ではアフターコロナの権力は?

人類史的にみてCOVID-19 はどんな意味を持つのか?という質問にジャック・アタリは「権力の変容が起こるとみている。歴史上、大きな感染症は権力の変容を生んできた。例えば15世紀ごろにはペストの発生を機に教会から治安当局に権力が移った。

感染者を隔離するなどの力を持ったからだ」「その後の感染症で、人々は科学が問題を解決すると考えるようになった。治安当局から医学への権力の移転だ。これまで我々はこの段階にいた。新型コロナの対策ではテクノロジーが力を持っている。

問題はテクノロジーを全体主義の道具とするか、利他的かつ他者と共感する手段とすべきかだ。私が答える『明日の民主主義』は後者だ」と答えた。この発言をそのまま受け取ると次の権力は医者や薬学者などのテクノロジストになる。
1656年に描かれたローマの医師。ヨーロッパにおける17世紀のペストの大流行の際、医師は、クチバシ付きマスク、革手袋、長いコートを着用し、感染を防ごうとした。不吉で象徴的なその姿は、今日でもよく知られている。






























確かにメディアでは疫病のプロが新たなスターになった。トランプ大統領の横で言いたいことをきっちり言う、国立アレルギー・感染症研究所の所長で免疫学者のアンソニー・ファウチ、日本では厚生労働省クラスター対策班に参加する西浦博・北海道大教授(理論疫学)や、疫病アイドルこと白鵬大学・岡田晴恵教授、久住 英二ナビタスクリニック内科医師(血液内科と旅行医学が専門)などが連日ワイドショーなどに登場している。

感染症と政治権力との「密接な関係」に着目する。国家による市民の「管理」や「隔離」、危機対応と民主主義のジレンマを、私たちはどう受けとめるべきか?国全体の感染症対策は「自治体の判断」ではダメ、国が責任を持つべきだ。感染症との世界の戦いにおいて特定の政治家(特にトランプ)やメディアがウイルスと感染症を政治的またはスティグマタイゼーション(汚名を着せて人を卑しめること)に利用している。

「COVID-19の感染を防ぐための行動制限を何もしなかった場合、国内で重篤になる感染者が計85万人に上る」とするショッキングな試算を、あえて発表した厚生労働省クラスター対策班に参加する西浦博・北海道大教授(理論疫学)には右からも左からも批判集まる ”「新型コロナで42万人死ぬ」という西浦モデルは本当か架空シミュレーションで国民を脅す「青年将校」”とディスられている。専門家のクーデターとも言われている。

感染症と政治権力との「密接な関係」に着目すると、国家による市民の「管理」や「隔離」、危機対応と民主主義のジレンマを、私たちはどう受けとめるべきか?というのは我が国安倍政権の状況そのもだ。

また国力とは何か?を考えさせられる。国力を測る物差しが「パンデミック迎撃態勢」になったということだ。あれだけ強大な軍事力を持った米国は、COVID-19のもとには最悪の対応をさらした。国力は国民の生命を救う力という理解で COVID-19 を見ると、今のところドイツ、中国、韓国のCOVID-19封じ込めでは成功している。

2020年4月23日木曜日

オフラインとオンラインが融合する世界が促進されるウィズコロナの時代

COVID-19 も従来の水際対策から感染蔓延期に向けてアフターコロナの前にウィズコロナがテーマになる。COVID-19との戦いのまっただ中だが、やるべきことは山ほどある。これは大きな時代の変化だ。いま日本企業にとってなかなか進まなかったDX(デジタルトランスフォーメーション)も推進を進めることだ。













デジタル化が進むと、すべての行動がオンラインデータ化出来る。そしてオフラインとオンラインの境い目がなくなるOMOの世界。そしてリアルとデジタルの役割は逆転し、デジタルを起点としたビジネスが当たり前の時代になる。リアルの役割も変わり、デジタルで拡張しながら、密にコミュニケーションできる、貴重な「体験価値提供の場」になる。(beBitのHP参照)https://www.bebit.co.jp/

人と人の接触を禁止され、否応も無くデジタルで人や会社が結ばれ、ZOOMでのミーティングは、我々の新しい日常になった。ビデオ会議で済ましている今は、一過性のものではなく、それはもう社会でのスタンダードになっていく。

企業の人材の募集要項も変わるだろう。「リモート週3日可」、「フルリモート可」など。そうした採用条件をデフォルトでいれなければ、良い人材は獲得できなくなる。ミーティングだけでなく海外のお客さんの5
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アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る 

2020年4月22日水曜日

もう(ビフォーコロナ)のようには戻らない。新世界(ニューノーマル)で求められるニーズやバリュー

2020年4月22日の今日、COVID-19新型コロナウィルス(COVID-19)が猛威を振るい多くの人が自宅に閉じこもり家族との生活と、時々のリモートワークを行い、ぎりぎりの社会活動を支えている。この2020に起きたことは100年後にも子供や孫に語られ続けるくらいグローバルな歴史上の大きな出来事だろう。

人々は、いずれは(ビフォーコロナ)前のようになるだろうと考えるが、「もう(アフターコロナ)の今は完全に新しい世界(ニューノーマル)なのだ」ともう元の世界に戻らないことを認めるしかない。





























対面で行うのが常識だったビジネスでさえ、もうすでにオンライン化している。ただ、ここで身につければ強くなれるスキルは、「たとえ、深圳の一度も会ったことがない人とでも、リモートだけで、信頼関係を築け、たとえ大きな予算の仕事の受発注でさえ可能になる」スキルのことだ。

これを、小林慎和さんはリモートトラスト(remote trust)と呼んでいる。このリモートトラストを身に付けることができた人は、とてつもなくビジネススキルが強くなるだろう。

もう(ビフォーコロナ)のようには戻らない。新世界(ニューノーマル)で求められるニーズやバリューに合わせて、経営者は事業内容を転換する決断が必要になるアフターコロナ。私は経営者というより起業家に近い、20才から40才まではファッションを事業とした。

40才頃からはコンセプターと称し自動車やケータイなどプロダクトデザインの業界の一員になった。その次は約20年前に山田進太郎さんや猪子寿之さんとブランドデータバンクという、いわゆるデジタルマーケティングを生業とした。その次が慶応大学SFCの教授になりデザインを教えた。その後デジタルマーケティングの商材を世界中で探し販売する事業を興した。つまり5回の業態変容を行って、その時代の求めるモノにビジネスをアジャストしてきた。

そして今ウィズコロナ(with CORONA)のまっただ中、今更だがオンラインサロンの準備を行っている。まさに私の人生も鴨長明の言う「うたかた」そのものだ。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」 と鴨長明が方丈記で書いている。

鴨長明は流れる河の水が、二度と戻らない事を見て、「無常」という仏教の言葉と重ね合わせて、常に同じものはこの世には無い。と言ったが、このCOVID-19の猛威の前にこの言葉は心に響く。

2020年3月14日土曜日

Appleはビヘイビアマーケティングなどという言葉を使わずに人々の習慣を変えさせた。













人は知らず知らずのうちに習慣を変えている。私は機械式時計のファンで、ずいぶん投資した。しかし、いつしか引き出しの中にはあれだけ魅力的に映った機械式時計がゴロゴロ埋まり。毎日Apple Watchしか着けないことが日常生活に定着した。

Appleはビヘイビアマーケティングなどという言葉を使わずに人々の習慣を変えさせた。唯一成功したウエアラブルデバイス、今も売れ行き好調なApple Watch。その影響が腕時計業界だけにとどまらず、宝石などジュエリー業界の売上を脅かすかもしれない。












たとえばローレックスは、およそ5,500億円程度と言われており、アップルウォッチが2016年に売上高6,600億円程度を記録したことから、「アップルウォッチが時計業界ナンバーワンブランド・ロレックスを抜いた」、ひいてはアップルウォッチが時計業界ナンバーワンに躍り出たことになる。

今年2月には、2017年内のApple Watchの出荷台数が1800万台を突破し、2016年から実に50%以上もの伸びを示している。さらに2017年にApple Watchの出荷台数が初めてスイスの時計業界を抜き去った。

さらにApple Watchの脅威が腕時計業界にとどまらず、 今年のホリデーシーズンにはジュエリー業界にも及ぶとの見解が各方面から発せられている。専門家は「これらのハイテク必需品がさらに買われることで、他の嗜好品への出費が抑えられてしまう」とのこと。

「残念ながら、ジュエリー業界は打撃を受けるだろう」と述べている。Apple Watchの「時間を知る」以上の実用性(スポーツやヘルスなど)が、個人の限られた資金の中で「単なる嗜好品」である宝飾品よりも優先されるのは、十分有り得ることと思われる。
https://jp.techcrunch.com/

2020年2月29日土曜日

テスラはeコマースの会社になるというショッキングなニュースが流れた。販売をネットに限定し販売店をすべて閉鎖する。

テスラは大きさは別にしてハードウエアとしてはスマホと同じようなプロダクトだ。ソフトウエアをダウンロードしてアップデートを行い性能を上げたり加えたりする。壊れたら全取っ替えだ。つまり従来の修理工場つきの販売店は不要になる。

Tesla(テスラ)は今後、すべての販売をオンラインで行うことになるそうだ。考えたら、至極当たり前のことだが、従来の自動車会社にとっては想像を超えた事態を起こった。営業戦略のこのダイナミックな変化により、販売店は閉鎖されて一部の従業員の解雇が生じる。

















イーロン・マスクの説明はこれらはすべて、Model 3の原価、ひいては販売価格を下げるための方策だと言うが自動車の100年に一度の流通革命になる。そして本格的なガソリン自動車市場の崩壊が始まる。

いまはガソリン自動車の走る道路に、わずかなEV車が走っている状況だが、EVの新車販売台数は、欧州や中国の自動車メーカーの製品投入がけん引して2021年にHVを上回るとしている。

2021年の市場規模は、HVが前年比2.8%増の297万台なのに対し、EVが同39.1%増の359万台となる見通しだ。テスラは一部の店は残して、情報センターやショウルームとして使うそうだ。マスクCEOは曰く「この車の原価を大きく下げ、買いやすい価格で提供する方法は、ほかにない。」と語る。オンライン販売への全面的な移行とそのほかの費用効率向上策により、全車種の価格を平均6%下げることができ、Model 3を3万5000ドルで提供できるようになる。
https://jp.techcrunch.com/


2020年2月25日火曜日

「最も個人的なことが最もクリエイティブなこと」の意味と「みんなに刺さるように」は「誰にも刺さらない」

『パラサイト 半地下の家族』第72回カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞したポン・ジュノ監督のスピーチが感動を呼んでいる。「私が若かりし頃、映画を勉強していた時に深く心に刻まれた言葉がありました。それは「最も個人的なことが最もクリエイティブなこと」ですと語った。これは、私たちの偉大なマーティン・スコセッシの言葉です」と語った。すると会場は大いに盛り上がり、スタンディングオベーションが。言葉を受けたスコセッシ監督は恥ずかしそうに立ち上がりながら、涙ぐんだような表情を浮かべ、ポン・ジュノ監督に拍手で讃えた。

「最も個人的なことが最もクリエイティブなこと」は一般の人には少しわかりにくいと思うので、この言葉の意味を説き明かしてみたい。













「人間はみんな同じではない個人。」と加え多様性のことなんだと考えると、少しわかりやすくなる。このテーマ「最も個人的なことが最もクリエイティブなこと」の意味を考えるために、書籍「世界で最もクリエイティブな国デンマークに学ぶ 発想力の鍛え方」から抜粋した言葉を加える。
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「奇想天外なフランシス・ベーコン」と表現されたアンドレアス・ゴルダーの話が参考になる。

















彼曰くクリエイティビティは周囲の環境から完全に切り離されているという一般的な考え方とは異なる。すでにできている道をたどったほうがいいと言う。つまりクリエイティブな人は、すでにこの世界に存在するクリエイティブの材料(映画、SF小説、過去の巨匠のあらゆるジャンルのデザインやアートなど)や伝統からインスピレーションを吸収している。

つまりクリエイティビティは既存の業績を利用する人々の連鎖の中にあるコラボレーションだという見方だ。

一方心理的な研究では個人的な現象としてとらえている。個人が、対立や衝突という観点から思考を巡らし、伝統あるいは既存の価値観に抵抗するという考え方である。“最も個人的なことが最もクリエイティブなことだ”というスコセッシ監督の考え方に近い。

この二つの考え方、どちらも正しい。というより現実は、私の体験上これらが混在してクリエイティブは行われている。見たことの無いものを作るという言葉は比喩であって、本当のところまるで見たことの無いように見えるものは作れる。ということだろう。












ジブリの鈴木敏夫さんも、「ジブリ映画は日本人向けに特化したからこそ、海外の人に面白がられるようになった」と以前にコメントしていたことがあった。たとえば、千と千尋の神隠しは、八百万神が集まるなんて一神教からしたら理解できないローカルな話。けれどそれがグローバルには未認識の世界観として新鮮にうつり、日本のオリジナリティと考えられた。

「みんなに刺さるように」とメーカーで良く発言されるが、結局そういう商品は誰にも刺さらないみんなが経験している価値観は、ありきたりになってしまうということだ。自分が感じたこと、自分が経験した一次情報こそが、オリジナリティを生み出す源になる。


2020年2月19日水曜日

コロナウィルスは現代の百鬼夜行だ。












コロナウィルスのように見えない疫病に対する不安が、まだ神話と実生活が混在した当時の人々の想像力を増幅して百鬼夜行を生み出したのだろう。百鬼夜行の都大路の闇を行進する様々な鬼は、どうして生まれたのか?

私の想像だが、見えない疫病に対する人々の不安な心が百鬼夜行を生み出したのでは無いか?と考えている。姿の見えないコロナウィルスの不気味な流行も、人々の心の中に同様の不安を生み出している。何せ治癒のための薬も、まだ登場しないのだから。












当時の平安京は、たび重なる疫病や飢餓で荒れはて、人々は疫病人や死者を、墓も作らずに路上に放置したので都大路は死臭にみちていた。地方によっては「くびきれうま」ともいうらしいが、これなどは疫神と百鬼夜行とのつながりが色濃く感じられる例である。
首切れ馬(くびきれうま)は、日本各地に伝わる馬の妖怪。首無し馬(くびなしうま)ともいう。 

祇園祭も、もとは祇園御霊会と呼ばれたのであり、今日の祇園祭が疫病の大発生しやすい夏に行なわれることには深い意味がある。京は治安も悪く、飢醒や疫病で地獄さながら鬼は地獄からやってくるとされたのが、当時の状況だったという。




















室町後期(16世紀)の絵巻には、さまざまな妖怪(ようかい)が夜行するさまを描く。青鬼、赤鬼のほか琴、琵琶(びわ)、笙(しょう)、沓(くつ)、扇、鍋(なべ)、釜(かま)、五徳などの器物、調度の化け物を集めて連続的に描く。日常品が化け物に変化する。
















詞書(ことばがき)はもたず、内容をつまびらかにしないが、これに類似した『付喪神(つくもがみ)絵巻』(模本が伝存)が、器物や調度を粗末に扱うと、後日それらの妖怪が京の町中を練り歩く、という意味の内容を説いており、これに類することが描かれていると推測される。たくましい空想力と、戯画的な諧謔(かいぎゃく)味を帯びた画面は、絵巻作品中でも異色である。