『江戸百』の巻尾を飾る「王子装束ゑの木大晦日の狐火」(おうじしょうぞくえのきおおみそかのきつねび)現在の王子神社、北区王子本町一丁目にあたる。タイトル通り大晦日だ。浮世絵にしては珍しく静かなたたずまいの日本画のように見える。王子稲荷の丘森森から繰り出してくる狐の集団を描いた。
この絵では判りにくいが、王子装束ゑの木(榎)大晦日の狐火は、王子稲荷の別当寺金輪寺などに残る狐火伝承をモチーフとしている。毎年大晦日の晩には、東国三十三ヶ国の稲荷神社の総元締めであるこの王子稲荷神社に、諸国よりキツネが「狐火」を灯して集まってくるというのものだ。
狐火というのは人魂のようなものだろう。幻想的というかなんとも不気味で幻想的だ。
大晦日の夜、社に近い榎の下に集まった狐は、ここで衣裳を整えて王子稲荷社に参上した。近在近郷の農家では狐がともす狐火の量で、新年の豊凶を占った。寒空にきらめく星と榎の小枝は、雲母引き(きらびき)で表現されている。
この広重の絵は 「江戸名所図会」を借用している。江戸名所図会の松と榎木は広重の下敷きにはなっている。広重のこの絵の鮮烈さは、世の人々の話題にはかまわずに、狐の進行を逆にしてしまったところにある。
『江戸百』や、その元絵になったと推定されている斎藤月岑の『江戸名所図会』が、まんまと名所を作り出すことに成功した例。「でっち上げ」が、聴き手の心を捉え、「ほんとうのこと(リアリティ)」だと受容された時にこそ、話は、あたかも昔から伝えられたものの「ごとく」残っていく。
「安政」という時代に生きる絵師の画想を横糸として織り込まれた織物として、絵が「真実」を描いたと受容されたからこそ、『江戸百』は優れた作品として残ったというように言い直すことができる。
「おしゃべりが狐は騙すもの、狼は人を送って来る」というような話しが『孤猿随筆』の序文にはあり合理的な見方とは対照的な見方が提示されている。
http://homepage3.nifty.com/motokiyama/tokuu/edo100_53.html
http://ojikitune.web.fc2.com/naonobu-hirosige.html
この絵では判りにくいが、王子装束ゑの木(榎)大晦日の狐火は、王子稲荷の別当寺金輪寺などに残る狐火伝承をモチーフとしている。毎年大晦日の晩には、東国三十三ヶ国の稲荷神社の総元締めであるこの王子稲荷神社に、諸国よりキツネが「狐火」を灯して集まってくるというのものだ。
狐火というのは人魂のようなものだろう。幻想的というかなんとも不気味で幻想的だ。
大晦日の夜、社に近い榎の下に集まった狐は、ここで衣裳を整えて王子稲荷社に参上した。近在近郷の農家では狐がともす狐火の量で、新年の豊凶を占った。寒空にきらめく星と榎の小枝は、雲母引き(きらびき)で表現されている。
この広重の絵は 「江戸名所図会」を借用している。江戸名所図会の松と榎木は広重の下敷きにはなっている。広重のこの絵の鮮烈さは、世の人々の話題にはかまわずに、狐の進行を逆にしてしまったところにある。
『江戸百』や、その元絵になったと推定されている斎藤月岑の『江戸名所図会』が、まんまと名所を作り出すことに成功した例。「でっち上げ」が、聴き手の心を捉え、「ほんとうのこと(リアリティ)」だと受容された時にこそ、話は、あたかも昔から伝えられたものの「ごとく」残っていく。
「安政」という時代に生きる絵師の画想を横糸として織り込まれた織物として、絵が「真実」を描いたと受容されたからこそ、『江戸百』は優れた作品として残ったというように言い直すことができる。
「おしゃべりが狐は騙すもの、狼は人を送って来る」というような話しが『孤猿随筆』の序文にはあり合理的な見方とは対照的な見方が提示されている。
http://homepage3.nifty.com/motokiyama/tokuu/edo100_53.html
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