2015年12月29日火曜日

久しぶりに「広重の江戸百」のコードを解いてみよう。一枚の絵の中に時間や場所等が推測出来る。「水道橋駿河台」は、大きな「こいのぼり」を大胆に真ん中に配置した広重得意の近像型構図の典型的な作品だ。

久しぶりに「広重の江戸百」のコードを解いてみよう。一枚の絵の中に時間や場所、描かれた意味が推測出来るのは絵師が意図的に描いたからだろう。「水道橋駿河台」は、広重得意の近像型構図の典型的な作品だ。大きな「こいのぼり」を大胆に真ん中に配置し、背景に江戸の街並みが広がる。

































画面手前にお茶の水坂への道が見えるので、現在順天堂大学医学部付属順天堂医院の二号館か九号館あたりからの眺望だ。よく見ると幟の上から見た構図なんだとわかる。手前に流れている川は神田川でかかる橋は題名通り「水道橋駿河台」の水道橋だ。

神田川の対岸に広がる街並みは、小石川や牛込などの旗本屋敷だ。このあたりで謎解きが始まる。安政4年のこのあたりの天気は、5月1日、4、5日と雨、3日は曇で、晴れて富士山が見える可能性があるのは5月2日しかないので、この日を描かれた日と推定する人が多い。

屋敷からもこいのぼり、幟、鍾馗などを立てていることから武家の街と言うことが解る。このあたりの安政地震の被害は、駿河台や牛込あたりは台地にあたり大きな被害はなかったが、それでも蔵が全壊したり、塀が倒れたりといった被害があった。こいのぼりの背びれあたりに描かれている田安御門は、土手と枡形の石垣が崩れた。
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