2020年6月16日火曜日

「移動や放浪」が人生に与える意味は、一時情報の身体化だ。

 皆さんも、リモートワークにも慣れ始めた頃でしょうか?ステイホームもカムファタブルですが、やはり外に出たいですね。県を跨がった移動の自粛はもとより海外への旅行はハードルが高い状態が続きます。ステイホームも、これだけ続くと本来が移動好きな私には、移動への願望がより強くなります。この際「移動や放浪」が人生に与える意味を考えてみます。















僕は60 年代後半、既存の日本社会や日本企業に居場所はないと考えて渡米し19才の時にサンフランシスコで「Tatoo T–shirt」を製造販売する会社を起業した。自由にヒッチハイクをして、気ままに公園で寝泊まりしたこともあった。

一方当時の米国の中産階級は、ネクタイをしめたお父さんとレストランへ食事に行くような「パパ大好き」というドラマが象徴するような典型的な保守的なアメリカと、真逆の既成の価値観を否定するヒッピーのような新しいジェネレーションが思い切りぶつかった時代だ。

そういう若者の精神が公民権運動(黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴えるBLACK LIVES MATTERは2020に起きている。未だに解決しない)、ウーマンズリボリューションなどのマイノリティーの解放を進めた時代だ。1960年代には、私も含めヒッピーがヘイト・アシュベリー地区に集まった。














そして1970年代には、サンフランシスコは性的少数者(LGBT)の権利運動の中心地となった。そいう時代背景の中で活動家でゲイのハーヴェイ・ミルクがサンフランシスコ市会議員に当選した。今の若者は知っているようで知らない「ヒッピー」という言葉。それは60年代にサンフランシスコを中心に発生したカウンターカルチャーだ。ヒッピーの持つ反戦・自然回帰・自由・博愛などの思想は世界中に波及し、日本の学生運動にも大きな影響を与えた。















この時代にこサンフランシスコに住んだ3年半は、今考えると私のような日本人にとって手垢のついていない一時情報を身体化の旅だったと想う。まだ若い感性の豊かな知覚を持ち、課題解決を行うためには、できるだけ多くの一次情報の経験を積むべきだろう。 一人で孤独の中で旅をすると、ぎりぎりの、自分という人間の全存在が完全燃焼するような生に気がつく。そういう自分自身への問いに全身でぶつからずにはいられなかった時代だ。考えるより感じることに多くの意味があった。Googleの検索窓に入らない言葉や、数値になっていない世界が大半である。

実際私だけで無く当時の日本人の多くの若者は世界中を放浪していた。日本だけで無く世界中の若者は人生の意味を求めて放浪をすることが昔からあった。また特に何らかの意図を持たずに放浪を繰り返すものも多く、放浪の体験やそこから得た印象を元に文学や絵画をはじめその他芸術に昇華したものも多い。有名なところでは西行や松尾芭蕉、種田山頭火、 山下清、ダモ鈴木、宮川アジュ、アルチュール・ランボーがいる。あの山田進太郎も世界一周を終えた後にメルカリを起業している。




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