2017年2月2日木曜日

日本最古で最後の郭、島原。そこで今も営業を続ける輪違屋(わちがいや)は最上級の遊女、太夫を擁する日本で唯一の茶屋

もう30年も通い続けている花街島原の置屋兼お茶屋の輪違屋(わちがいや)に、久しぶりに遊びに行った。いつもはバーで博識の太夫に来てもらって飲んでいる。しかし、会社のお客様で、どうしても「仮視の式」(顔見せ)から始まる太夫による本格的な太夫の儀式を見たいと言うことで、お願いした。

今回の宴会は太夫道中に使われる傘を襖に貼り込んだ「傘の間」で行われた。禿(太夫の補佐で 3歳から8歳)の着物の袖には鈴がついていて、リンリンと音がし、禿の鈴の音が聞こえれば、太夫が襖の向こうに近づいたことがわかる。

















その不思議な儀式は二本の和ろうそくの明かりだけで行われた。その薄明かりの中の太夫は艶っぽく、まるで人形のように美しく、時が 400年前に戻ったようでなかなか見事だった。
桜木太夫


































その秘密の儀式で太夫はまず右側の台に載っている盃を手に取り杯に写った客の顔を見る。これを「かしの式」と呼ぶ太夫が自分をアピールする時間で2分程度だ。その後太夫がお茶のお点前と、胡弓の演奏、舞踊を披露し夢のような時間が終わった。















また輪違屋の入り口には「観覧謝絶」の札がある(いわゆる「一見さんおことわり」の店である)その排他性が、この文化を持続させたのだろう。現在輪違屋は京都市の有形文化財に指定されている。現在輪違屋には5人の太夫、30人の禿が登録している。禿は近所の小学生で今でも 8:00 PMまでは、その大人の世界で太夫を補佐しながら修行する。















太夫は芸妓舞妓とは違い御所に上がり御所の寝殿まで上がれ天皇に謁見出来る正五位の位を持っていた。高貴な人たちのお相手をきちんとできるように、茶道、華道、書道、和歌から琴、三味線、胡弓、唄、舞踊に至るまでたしなむが、そのすべてが御所風で太夫さんの着付けも、十二単と同じ紐一本の着付け。

*京都府京都市下京区の通称島原で現在も営業を続けている。日本最古で最後の郭、島原。そこで今も営業を続ける輪違屋(わちがいや)は最上級の遊女、太夫を擁する日本で唯一の茶屋でもある。創業は元禄元年(1688年)、置屋として始まる。置屋として創業当時の名は「養花楼」。お茶屋兼業は明治5年(1872年)より。現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたものであり、明治4年(1871年)にほぼ現在の姿となった。かつては芸妓等も抱えていたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれている。
坂井のアシスタントでありシンガーソングライターの柳ひろみ






































建物は昭和59年(1984年)に、本物の紅葉を使って型取りしたうえに彩色した壁が使われた「紅葉の間」が特徴的だ。1階には近藤勇書の屏風が、2階には桂小五郎書の掛軸がある。

戦後六花街(上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町〈ぽんとちょう〉、宮川町、島原)になり島原の出店であった祇園をはじめとする五花街から島原への上納金制度は終わる。





















浅田次郎小説およびテレビドラマの『輪違屋糸里』で有名だが、糸里が輪違屋にいた との記録は輪違屋側にはない。 「維新の名花」といわれた「桜木太夫」を抱えていたのはここである(糸里が「桜木太夫」となる小説・ドラマでのエピソードはフィクション)
〒600-8825 京都府京都市 下京区西新屋敷中之町114







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