昨日アドミュージアム東京の裏アーカイブProjectで出演者の一人として出たのだが、ゲストから頂いた情報が面白かった。それはガムテープで作るフォント「修悦体」だ。
2004年、JR東日本新宿駅東口で行われていた部分改築工事の際、鉄板の壁がいたるところに立っていたため迷路のような状況となっていた駅に誘導係として配置された佐藤が「声を使っての実際の誘導だけでは対応できない」として、ガムテープを使った案内表示を作り始めたのが「修悦体」の始まりだ。駅にある材料だけで作ることが清い。
修悦さん 「僕が今の仕事(駅の警備)に就いて、13~4年経つんですよ。新宿駅に最初に行ったのが、2002年くらいかな。最初の勤務が新宿駅でね、構内が工事中で利用客をメガホンで誘導してたんですよね。ものすごい数の人が行き来してるでしょ。それを声だけで誘導するのは大変なんですよ。まあ、ほとんどの人に声が届かないじゃないですか。それで、目立つ案内表示を作ろうと思ったんです」
修悦さん 「自分でも思うんですよ。『頼まれてもいないのに』って。でも、頼まれてもいないのに作るのは、お客さん(利用客)目線で安全を考えたら、やっぱり必要なんですよ。あった方が便利だし、高齢者にはとくに必要だと思っている」新宿駅で始めた時は角張った文字だったんですが、日暮里駅に着任してから、角をなくすことを研究してだんだん丸みを帯びるようになってきました。
それにしても、とてもわかり易いガムテープ文字。一体どうやって描かれているのだろうか? 佐藤さんの説明によると、まず隙間なくガムテープを貼り、その上からカッターで文字を切り出すとのこと。
当初は駅からの指示や許可は無かったが、無断で駅の番線表示のみを始めたところ、駅員に褒められ、許可が出たことから正式に製作を始めたという。当初、工事現場にあったガムテープは白・黒・黄の3色しかなかったが、佐藤による赤・青・緑の3色の申請が認められ、電車の色に合わせた案内板の作成が可能となった。
岩手県出身。2003年、JR新宿駅の工事現場で警備員として勤務の傍ら、ガムテープを使った案内標識を作り始める。見やすく温かみのある独特の字体がインターネットや口コミで話題となり、「修悦体」として人気を確立。2007年よりJR日暮里駅で同じく業務の傍ら、「修悦体」の制作を手がけた。
2004年、JR東日本新宿駅東口で行われていた部分改築工事の際、鉄板の壁がいたるところに立っていたため迷路のような状況となっていた駅に誘導係として配置された佐藤が「声を使っての実際の誘導だけでは対応できない」として、ガムテープを使った案内表示を作り始めたのが「修悦体」の始まりだ。駅にある材料だけで作ることが清い。
修悦さん 「僕が今の仕事(駅の警備)に就いて、13~4年経つんですよ。新宿駅に最初に行ったのが、2002年くらいかな。最初の勤務が新宿駅でね、構内が工事中で利用客をメガホンで誘導してたんですよね。ものすごい数の人が行き来してるでしょ。それを声だけで誘導するのは大変なんですよ。まあ、ほとんどの人に声が届かないじゃないですか。それで、目立つ案内表示を作ろうと思ったんです」
修悦さん 「自分でも思うんですよ。『頼まれてもいないのに』って。でも、頼まれてもいないのに作るのは、お客さん(利用客)目線で安全を考えたら、やっぱり必要なんですよ。あった方が便利だし、高齢者にはとくに必要だと思っている」新宿駅で始めた時は角張った文字だったんですが、日暮里駅に着任してから、角をなくすことを研究してだんだん丸みを帯びるようになってきました。
それにしても、とてもわかり易いガムテープ文字。一体どうやって描かれているのだろうか? 佐藤さんの説明によると、まず隙間なくガムテープを貼り、その上からカッターで文字を切り出すとのこと。
当初は駅からの指示や許可は無かったが、無断で駅の番線表示のみを始めたところ、駅員に褒められ、許可が出たことから正式に製作を始めたという。当初、工事現場にあったガムテープは白・黒・黄の3色しかなかったが、佐藤による赤・青・緑の3色の申請が認められ、電車の色に合わせた案内板の作成が可能となった。
岩手県出身。2003年、JR新宿駅の工事現場で警備員として勤務の傍ら、ガムテープを使った案内標識を作り始める。見やすく温かみのある独特の字体がインターネットや口コミで話題となり、「修悦体」として人気を確立。2007年よりJR日暮里駅で同じく業務の傍ら、「修悦体」の制作を手がけた。