11-ご存知の通り、92年にバブル経済が崩壊し、日本は長期不況に陥ります。つまり、パイクカーの登場はバブル期と時代が重なっていますが、そこに何か因果関係があったと思いますか?また、坂井さんご自身の活動とバブル経済は関係があったとお考えになりますか?
「70年代に効率的、合理的、機能的という、3つのキーワードで価値観が説明できる工業化社会が終わり、脱工業化社会(ポストモダン)が始まっていました。つまり工場やメーカーなど生産者側の都合だけでは、新しい消費にコンシューマは心が動かなくなっていました。わかりやすく言うと、従来型のプロダクトアウトの手法が限界を迎え、本格的なマーケットアウトの時代がやってきました。つまり、バブル期の「時代の気分」をもっとも肌で感じていたWATER STUDIOの20代~30代のスタッフがもっとも欲しいものを作れば売れると確信していました。実際Be-1の中古車は発売後二ヶ月で本来の価格の130万円は2倍を超え300万円で売買されていました。「欲しいものが欲しい」「買えないものが買いたい」というのは、バブル経済を象徴するキャッチコピーでした。そういう時代の象徴がエモーショナル・リッターカーというキャッチコピーを与えたBe-1でした。」
12-90年代はプロダクトデザイン界も元気がなく低迷しました。坂井さんのご活動にも、こうした時代背景は影響がありましたか?
「そうですね。僕も自動車はラシーンで一息つきました。そして従来からのデザインのパートナー山中俊治さんに加え、当時20代半ばで来日したグエナエル・ニコラとの協同が増えていきました。彼らの世代のプロダクトデザイナーはパソコンへのスキルが高く、インターフェイスやインターラクションという概念を常にデザインに持ち込みだしました。柏木博さんの言うインマテリアル・デザインの時代の到来です。つまり、モノと人間、社会と人間、情報とデザイン、テクノロジーとアートなどを語り出しました。80年代のようにモノ(マテリアル)だけの価値では新しいモノが作れなくなっていました。時代は本格的なインターネット社会が目前に迫っていました。具体的に言いますと、クルマは既に移動体の端末であり、リアル・コミュニティーである地図上の移動とともに、カーナビや携帯などを使いエレクトニクス・コミュニティーというネットワークの中も移動しており、パラレルな二重のネットワークを移動しているわけです。そこで情報化社会とプロダクトという、新しい課題を背負うことになりました。」
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