2011年9月14日水曜日

消失点のない、平面的な大和絵や浮世絵は稚拙な、遅れた描き方とされてきた。だが昔の日本人には、本当にああいう風に見えていたのではないか?猪子寿之

2001年にはSEとして出会った猪子寿之さんは、いまや「第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画展」でも活躍中だ。しかもいつの間にか、美術手帳の表紙に掲載されるメディア・アーティストになっていた。現代人には見えないかつての日本人の非遠近法的な見方を盛んに主張し、現代人の西洋化された見え方=遠近法を捨て、日本伝統のフラットな“見え方”が正当だと復権させた。「消失点のない、平面的な大和絵や浮世絵は稚拙な、遅れた描き方とされてきた。だが昔の日本人には、本当にああいう風に見えていたのではないか」現代人は、遠近法のように見えると思い込んでいるだけではないのか。という大胆な仮説を語る。
‪TEAMLAB『生きる』展 at Kaikai Kiki Gallery Taipei‬

そこで、コンピュータで空間を作り、その空間を論理的に平面化して映像を制作した。遠近法は消失点=鑑賞点が固定されているため、鑑賞者が空間を移動すると絵が歪む。日本画は消失点がないから、どこから見ても、自然に立体的に見えるのだ。ヒントは漫画であり、ファミコンだった。それらには消失点がない。ファミコンの「ドラクエ」のマップの描き方は大和絵そっくり。と猪子さんは考える。「初期のゲームのクリエーターたちは非エリート。エリート教育としての西洋教育・西洋思想の洗礼を受けなかったか、自らパスした。だから、日本の伝統を受け継いだのではないか」最近会うたびに、この議論になるのだが、すっかり僕が連れているスタッフも猪子的思想の魅力に嵌っているようだ。

2 件のコメント:

  1. 「初期のゲームのクリエーターたちは非エリート」というのは賛同しかねますね。
    高等教育を受け、大企業に進まず起業し、クリエーターとなった方が多いです。
    専門的な絵の勉強はしてなかったでしょうが、ファミコンのマップは単にコンピュータ言語に沿った原始的な表示方法というだけでしょう。
    ちょっと馬鹿にしすぎてるのでは。
    海外の学校はそんなに日本とかけはなれた美術の授業をしているんでしょうか。地図は平面のものが大半だと思いますが。

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  2. masatakaさん、コメントありがとう!ただしこのブログは猪子さんの意見を紹介しているので、直接猪子さんに聞いたらいかがでしょうか?info@team-lab.com

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