自分の原点を考えると、69年という年が思い浮かぶ。当時僕は大学生だったのだが、アメリカを見ずに未来を考えることなんてありえないと勝手に考え て日本を飛び出した。それまでに出会っていたのはライフスタイルの案内人と言えるビートルズ、アートの革新者のアンディ・ウォーホール、そしてネット社会を予言していたとも言えるマーシャル・マクルーハン。アメリカで、僕は幸運にもこうした現象の最先端を生で感じることができた。
大量生産、再生産。アートにそれを持ち込んだのがウォーホールだ。大量生産可能な手法で、しかもどこでも手に入るスープの缶詰を版画にしてオリジナルのスープ缶より高く販売したと揶揄された。しかし、それまでのアートのように美と醜の二つの引き出し(二元論の価値観)しかない窮屈さに辟易していた我々美大生は喝采した、それくらいのアート界の革命だった。
このようにあらゆる可能性が目の前に広がる60年代のサンフランシスコで初めての会社(TATOO COMPANY)を設立し、当時の世相を直截的に反映した「反体制の象徴」としての「刺青Tシャツ」の製造販売を始めた。これが予測を超えて売れ続けたことが、僕のクリエイティブとビジネスを結ぶコンセプターの始まりだった。人の肌に彫られた刺青を、そのまま複製しTシャツにプリントし大量生産に持ち込むというのは、とてもウォーホール的だった。ウォーホールに出会えなかったら今の僕はいない。
坂井直樹 (1) [09/08/06]
(朝日新聞で四回連載した彩・美・風の初回を加筆修正した)
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