2010年9月21日火曜日

旅行やサファリの冒険気分を味わえる車PAO、バブルと共に80年代のデザインを検証してみたいと思っています。



(下記は「PDの思想」をもとに加筆修正しました)
7-Be-1発売の翌年の1987年にはPAOが発表になっています。作業は重なっていたのでしょうか?

「作業は重なっていません。モーターショーのサイクルが二年に一回ですから、、しかし、アイデアはある程度持っていました。それはGAPのサブ・ブランドであったバナナ・リパブリックというブランド・コンセプトの「旅行やサファリの冒険気分を味わえる服」を、そのままクルマに置き換え「旅行やサファリの冒険気分を味わえる車」を作ってみようということでした。」

8-Be-1のような衝撃は薄らいでいたものの、同じく古場田良郎さんが担当したPAOのデザイン的な完成度はBe-1を上回るものがありました。

2車は坂井さんにとってどのような評価になりますか?

「その通りですね。「処女作を上回るものはない」という言い方があるように、その象徴として車での初めてのプロジェクトのBe-1は処女作でした。また世の中を大きく変えるのは、歴史的には常にアマチュアであって、プロフェッショナルはむしろ改善に向いていると思います。

80
年代前半の町には四角いクルマしかなかったところに、投入されたたった一台の小さな丸いクルマBe-1が登場したとたんにユーノスロードスターをはじめ、数々のクルマが世界中で丸くなっていった。

そのようなダイナミックな市場の変化を幸運なことに体験しました。「デザインの完成度」といった専門家のみに通じる価値観も、もちろんとても大切な事です。でもBe-1はデザインの力で世の中を変えたのです。

しかし、残念ながらPAOは世の中に、少し楽しいクルマをもう一度提案したにすぎなかったのです。Be-1がなければPAOは作れなかったのですから、当然ですね。しかし、最近も数年間PAOを日常の足代わり使っていたほど、PAOのデザインは自分の好みにフィットしました。」

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