コロナウィルスのように見えない疫病に対する不安が、まだ神話と実生活が混在した当時の人々の想像力を増幅して百鬼夜行を生み出したのだろう。百鬼夜行の都大路の闇を行進する様々な鬼は、どうして生まれたのか?
私の想像だが、見えない疫病に対する人々の不安な心が百鬼夜行を生み出したのでは無いか?と考えている。姿の見えないコロナウィルスの不気味な流行も、人々の心の中に同様の不安を生み出している。何せ治癒のための薬も、まだ登場しないのだから。
当時の平安京は、たび重なる疫病や飢餓で荒れはて、人々は疫病人や死者を、墓も作らずに路上に放置したので都大路は死臭にみちていた。地方によっては「くびきれうま」ともいうらしいが、これなどは疫神と百鬼夜行とのつながりが色濃く感じられる例である。
首切れ馬(くびきれうま)は、日本各地に伝わる馬の妖怪。首無し馬(くびなしうま)ともいう。
祇園祭も、もとは祇園御霊会と呼ばれたのであり、今日の祇園祭が疫病の大発生しやすい夏に行なわれることには深い意味がある。京は治安も悪く、飢醒や疫病で地獄さながら鬼は地獄からやってくるとされたのが、当時の状況だったという。
室町後期(16世紀)の絵巻には、さまざまな妖怪(ようかい)が夜行するさまを描く。青鬼、赤鬼のほか琴、琵琶(びわ)、笙(しょう)、沓(くつ)、扇、鍋(なべ)、釜(かま)、五徳などの器物、調度の化け物を集めて連続的に描く。日常品が化け物に変化する。
詞書(ことばがき)はもたず、内容をつまびらかにしないが、これに類似した『付喪神(つくもがみ)絵巻』(模本が伝存)が、器物や調度を粗末に扱うと、後日それらの妖怪が京の町中を練り歩く、という意味の内容を説いており、これに類することが描かれていると推測される。たくましい空想力と、戯画的な諧謔(かいぎゃく)味を帯びた画面は、絵巻作品中でも異色である。
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