2016年7月3日日曜日

アフォーダンスで見る”イタリアの人々の出会いの場としての人為的な広場「ピアッツァ」”と"イギリスの人々の出会わない休息の場としての自然の公園「パーク」"の違い。

我々は、環境を捉えるときに、行動を促進させたり、制限させたりするような特徴を読みとっている。ギブソンという認知心理学者は、環境のこのような性質をアフォーダンスと呼んだ。環境がほのめかす行動。

芦原義信がこう書いている。シニョリーア広場(Piazza della Signoria)は、イタリアのフィレンツェにあるヴェッキオ宮殿前の広場。周辺にヴェッキオ橋、ドゥオモ広場、ウフィツィ美術館へ向かう道などがあり、観光客も多く、地元民の待ち合わせ場所にもなっている。
シニョリーア広場(Piazza della Signoria)
















このようにイタリア人は人々の出会いの場として人為的な広場「ピアッツァ」をつくってきた。一方イギリス人は人々の出会わない休息の場としての自然の公園「パーク」をつくってきた。
イギリスの公演


















現在、丸の内のオフィスビル街、銀座や渋谷などは人がしきりに動いているイメージしか思い浮かばない。忙しく通り過ぎる人たちだけの街、そこでは、通過することだけがアフォードされているのである。

最近は新丸ビルやスパイラル、ミッドタウンなどは、人が留まる空間が若干だけれど増えてきた。留まることをアフォードする豊かな生活が出来る都市計画を期待したい。
参考資料。槙究教授 http://www.jissen.ac.jp/

*我々の日常は問題だらけのUIに囲まれていて、それらに柔軟に対応しなければいけない。デザインにおけるアフォーダンスは人の記憶(経験)から補完される要素も大きく。その記憶は変化を求めない。http://sakainaoki.blogspot.jp/2016/05/ui.html


1 件のコメント:

  1. カソリック関係の人々の集いに「ピアッツァ」という名前がついていたことがあったり、イタリア在住の友人がピアッツァでの知らない人々との出会いをエッセイに書いていたり、ピアッツァというのは宗教と関係あるんかいなと思っていましたが今調べたら必ずしも強い結びつきがあるわけでもないのですね。イタリアのエピソードなどを見聞きするに、知らない第三者との交流が非常に良く行われており、これは個人が孤立しそうな大都市、というものを2000年を優に超えて築き上げてきた彼らの知恵なのかもしれません。ロンドンのコヴェントガーデンはピアッツァに相当する広場であると認識されているようですし、King's Cross Stationも改修されてそうなっているようですから、都市計画の重要事項として認識されているのですね。世界中の多くの広場が宮殿の前などにあるのとは異なり、道路と道路がクロスする場所にあるのがイタリアのピアッツァの特徴だそうですから、渋谷ハチ公前広場およびスクランブル交差点がピアッツァに見えるのはある種必然であって、渋谷の再開発ではそうした景観もあれば歴史を変えたかも知れぬ、などと思ったりはします。では日本ではそういう場所はないのかと問われると、丸の内におけるちょっとした広場は悪くはないと思っていましたので、それが単なる休憩場所ではなく出会いの場となれば良いですね。人為的な「フェスティバル」は環境とは言えずアフォーダンスとは違うでしょうから。

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