2015年11月15日日曜日

原研哉がたびたび言及する高野孟のパチンコ台と日本文化論。ユーラシア大陸を90度回転させてみると、ユーラシア大陸はパチンコ台に見立てることができる。日本はパチンコ台の受け皿だった。
















原研哉の新著『日本のデザイン』を改めて読んだ。著者が東日本大震災を機に、「少子高齢化を迎える社会の行方について実践的に書いた」一冊だ。プロダクトデザインそして社会デザインに興味がある向きには必読の書と言える。
































あらためて印象に残るのが、原研哉がたびたび言及する高野孟のパチンコ台と日本文化論。ユーラシア大陸を90度回転させてみると、ユーラシア大陸はパチンコ台に見立てることができる。

日本はちょうど受け皿の位置にくる。一番上の方にはローマ。文化はシルクロードを通って、中国、朝鮮半島を経て、日本に文物が伝わったと、一般的には言われている。

















インド経由で東南アジアから海のシルクロードを通ってきたものも当然あるだろうし、ロシアのほうからカムチャツカ半島や樺太を経て入ってきたものもある。椰子の実のように、ポリネシアの方から漂着したものもある。つまり、日本というのは世界中の文物の影響にさらされてきた。



























浮世絵の源流は蘇州版画という説もある。相撲の源流はモンゴルだろう。歌舞伎の原型は京劇かもしれない。瓦の語源は、サンスクリット語の迦波羅「カパーラ」がなまったようだ。

















シルクロードの終着駅といわれ、古文書をはじめ、服飾品、調度品、楽器など、8千点を越える宝物を収蔵している正倉院の宝というものはすべて渡来のモノだ。東南アジアで産出される沈香と呼ばれる高級香木も、ルイヴィトンのモノグラムそっくりの琵琶もインドからきたようだ。






















世界は「複雑」からできあがっているので、インドネシアのものが漂着しても、中国のものが漂着しても、みんな「複雑」だ。強い国は、その威を稠密な文物にたくしてよこしてくるので、端っこの日本にはそういうものが集まりやすい。
伽羅香木












日本人も唐物とか到来物とかいってそれを珍重した。だから元来、日本はカラフルも好きだし、ゴージャスも好きだし、唐草模様も大好き。正倉院をみるとそんなものだらけです。それを大事にとっておいて、そこから複製をいっぱいつくって影響を受けて生きていた。だから、日本の文化も結構「絢爛」だった。
インドの瓦

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