さて人生系のレクチャーの後、学生から受ける質問に、一つのパターンがあります。「先生の20才の時に、やっておけば良かったと思うものは、なんですか?」的な質問、もっとバリエーションがありますが、この類「たられば」の質問がかなりあります。
学生がそれを聞きたい理由もわかるのですが、その時僕は常に戸惑います。なぜなら45年前の自分はすでに他人だからです。横尾忠則さんの「つぶやき」にあるように。
また横尾さんは、今まで数多くのY字路の絵を描いています。Y字路へのこだわりを「生か死か、過去か未来か。岐路を表すものとしての特性」と語っています。つまり人生は「あみだくじ」なのです。
横尾忠則:「過去というのは自分の中の他人だ。すると過去の自分から未来の自分を想像する時、それも他人だ。過去も未来も他人だとすると、自分は現在だけということになりそう。その自分も死んだら、生きていた自分はみんな他人か?」
坂井:先日のレクチャーで二人の質問を受けながら、上手く説明出来なかったのですが、横尾さんのつぶやきで、かなり僕の言いたいことに近い文章がありました。20才の自分に出会えるのなら、聞いて見たいですね。おまえ何を考えていたんだ?と、、
学生A:この横尾さんのつぶやきを読んでみて、まだ味わったことがない観念だと思いました。まだ20歳ということもあるとは思いますが、過去を振り返る時に自分の中に他人っぽさを感じたことはありませんでした。時間が経つとそういった感覚になるのかもしれませんね…!
横尾忠則:「Y字路の持つ特性ってあると思う。生か死か、過去か未来か。岐路を表すものとしての特性ね。だけど今は、モチーフ(主題)としてはY字路を使っているけれど、そうした形而上(けいじじょう)的な特性から離れて、もっと絵画的な問題として考えたいと思っています」
学生がそれを聞きたい理由もわかるのですが、その時僕は常に戸惑います。なぜなら45年前の自分はすでに他人だからです。横尾忠則さんの「つぶやき」にあるように。
また横尾さんは、今まで数多くのY字路の絵を描いています。Y字路へのこだわりを「生か死か、過去か未来か。岐路を表すものとしての特性」と語っています。つまり人生は「あみだくじ」なのです。
横尾忠則:「過去というのは自分の中の他人だ。すると過去の自分から未来の自分を想像する時、それも他人だ。過去も未来も他人だとすると、自分は現在だけということになりそう。その自分も死んだら、生きていた自分はみんな他人か?」
坂井:先日のレクチャーで二人の質問を受けながら、上手く説明出来なかったのですが、横尾さんのつぶやきで、かなり僕の言いたいことに近い文章がありました。20才の自分に出会えるのなら、聞いて見たいですね。おまえ何を考えていたんだ?と、、
学生A:この横尾さんのつぶやきを読んでみて、まだ味わったことがない観念だと思いました。まだ20歳ということもあるとは思いますが、過去を振り返る時に自分の中に他人っぽさを感じたことはありませんでした。時間が経つとそういった感覚になるのかもしれませんね…!
横尾忠則:「Y字路の持つ特性ってあると思う。生か死か、過去か未来か。岐路を表すものとしての特性ね。だけど今は、モチーフ(主題)としてはY字路を使っているけれど、そうした形而上(けいじじょう)的な特性から離れて、もっと絵画的な問題として考えたいと思っています」
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