2011年9月18日日曜日

この絵は19世紀初頭に描かれた、北斎の「くだんうしがふち」日本画も消失点のない平面的な見え方を変え西洋化した視点を持つようになる。


日本の絵には、もともと西洋画のような「陰影表現」はなかったし「西洋式線遠近法」はなかった。猪子さんの言う「消失点のない、平面的な大和絵や浮世絵は稚拙な、遅れた描き方とされてきた。だが昔の日本人には、本当にああいう風に見えていたのではないか」という説と付き合わせて考えてみると面白い。この絵は19世紀初頭、日本画も消失点のない平面的な見え方を変え西洋化した視点を持つようになる分岐点。






















高く荷物を積んだ車が、急坂を上ろうとしている。2人の男が、後ろから左斜め方向に車を押している。この絵には日陰があり遠近法がある。傘の下には楕円形の影が見えるし、坂の右側の不規則な陰影は、右上を覆う樹木があるからだろう。左の堀の高い土坡には、深い影が刻まれている。この木版画の制作時期は、文化年間初頭、1804年から07年ごろと推定されている。葛飾北斎も、この時代の西洋的な画風のトレンドに関心を持ったに違いない。西洋画は陰影表現、西洋式線遠近法、ハリウッド映画は勧善懲悪で、シンプルな二元論的な倫理観。しかし、「やおよろずの神」の日本のほうが情報化社会との相性がいいのではないか。情報化社会の本質は、二元論ではなく、あいまいさであり、テクノロジーとクリエーティビティの融合だ。とする猪子さんの考え方はユニークで説得力がある。
(記事ソースは日経新聞と猪子寿之さんの語り。)

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