僕の二十代の初め頃は、サンフランシスコにたむろする少々中途半端なヒッピー崩れだった。ジョブズは中学生だったはずだ。同じ時期にサンフランシスコの空気をお互い吸っていたことになる。このヒッピーという概念が以外と若い人に伝えにくい。ヒッピーとは、1960年代のアメリカ西海岸・サンフランシスコで、ベトナム戦争に反対する若者たちが、既成社会の価値観から、ドロップアウトし、自らをヒッピーと名乗った。愛と平和、幻想、サイケデリックアート、に生きた人たち。1969年ウッドストック、ヒッピー、フラワーチルドレン、カウンターカルチャー、ロックが力を持っていた頃。しかし1970年代に入ると、有無消散してしまった。しかしエコロジー運動の始まりもコンピュータも実はヒッピー達から始まったカウンターカルチャーだった。
戦争に反対し、徴兵を拒否し、自然と平和と歌を愛し人間として自由に生きるというスタイルで、ベトナム戦時下にあった全米で一大ムーブメントが起こった。初期は薬物による高揚や覚醒や悟りから出発し、各地にコミューンと呼ばれるヒッピー共同体が発生する。若者を中心に爆発的な人気を誇った「ビートルズ」によるインド巡礼やマリファナやLSDを使用した精神解放等により全米・そして世界へとそのムーブメントは広まっていくことになる。しかし、ベトナム戦争の終結とともに、1970年代前半頃から、徐々に衰えていく。
かつてスティーブ・ジョブズも、ハレ・クリシュナ寺院で食にありついたヒッピー崩れだった。ジョブズに限らず1970年代の後半にアメリカの西海岸で活動を始めたコンピュータオタクは、大体はヒッピー寄りの人々だった。ドラッグ、セックス、ロックン・ロールと、既成権力に向けた打撃という反体制思想運動だった。その意味で、ヒッピーとハッカーのルーツは同じだ。ネット・スケープ・ナビゲーターを作った人々や、Google社のトップ、ウィキペディアの創始者も同じ思想に連なる人々だ。ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジも同じような印象を与えるハッカー。ビッグビジネスとしてメジャーに成長する以前のコンピュータ文化は、反体制的な思想を宿していた。成長したアップルやウィキリークスも、これからも少しずつ世界を変えるだろう。
(一部小田嶋隆さんの記事を参考にした)
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