この高城剛発言は、賛否両論別れると思いますが、あえて掲載してみる。Twitterは、そういう議論が好きな方が多いとも思うので、ちなみに僕は友人ですから理屈抜きに高城剛擁護派です。また、それを割り引いても常に彼の発言は示唆に満ちていると僕は思う。今年はお互いの夫婦四人で食事できそうだな。良かった、良かった。
高城剛+坂井直樹 |
高城:そういう生活の中から、新たな回帰的な感性を持ったデジタル・クリエイションが生まれていくだろうし。僕なんか、デジタル・クリエイションでまだまだ稼げる人だと思いますよ。その僕が、もうそれ(クリエイションで利益を得ること)をかっこ悪いって思ってるんだからさ(笑)。それが、デジタルと共に育った先駆者世代の正しい姿だと思う。
70年代って、いろんなところに情報や価値観を共有する人が集まってコミューン化していったわけだよね。その中でいろんなものをつくって、野菜とか分配していたわけじゃない? それが今は逆になって、デジタルの中にみんなが集まって、いろんなモノをつくってタダで配って、野菜とかで金を取るの。
高城:ネットがマスになったのは90年代後半だと思うんですよ。僕は、それ以降、自分ではネットはほとんどやってないよ。ミクシィとかツイッターとかも一切やんない。ツイッターやんなくたって、今、日本中が僕のことフォローしてるじゃん(大笑)ここでかちんと来る人はどうぞ!
結局、今のインターネットって、ソフトなビッグ・ブラザー【編註:ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(1984年出版、僕の一歳の時)に出てくる、国民を徹底管理する権力者】だと思ってるんですよ。お互いがお互いを管理する社会。だから、僕はそこからもう10年以上前に足抜けしたっていう感じ。すなわち、もうネットが大事ではなく、ネット的に生きることが大事。僕のブログは一方通行だからね。そして、テレビと違うフェイクが楽しい。ここが僕にとっての今の時代感のポイント。(ソースはサイゾーから)
1984 George Orwell Movie Trailer (1984)
ジョージ・オーウェル
*1984年:トマス・モア『ユートピア』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ザミャーチン『われら』、ハクスリー『すばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く作品で、スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。なお、著者などは言及していないが「1984年」という年号は、本作が執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラムであるという説が一般的である。これによって、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示したものとなっている。
*ジョージ・オーウェル:(英語: George Orwell, 1903年6月25日 - 1950年1月21日)は、イギリスの作家、ジャーナリスト。生誕地はイギリスの植民地時代のインド。本名はエリック・アーサー・ブレア(英語: Eric Arthur Blair)。全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の作者で知られる。
*ビッグ・ブラザー:党は、「偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー、なお英語の Big Brother に独裁者という意味があるのはこの作品に由来する)」によって率いられる唯一の政党である。「偉大な兄弟」は国民が敬愛すべき対象であり、町中の到る所に「偉大な兄弟があなたを見守っている」(BIG BROTHER IS WATCHING YOU) という言葉とともに彼の写真が張られている。しかし、その正体は謎に包まれており、実在するかどうかすらも定かではない。テレスクリーンの登場により、全国民は党の監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている。
高城さんが残酷だなと思うのは、主張していることのターゲットが「なにやっても自分で食える人」だって事だと思うんです。Twitterやブログで仕事と関係なしに実名を出せる人々です。(仕事に利用する人は別)ただし、仰ってることはその通りだと思う。
返信削除歴史の大きなうねりはしかし、大衆に委ねられることが多いからむしろ翻弄されるのは自分の方なんじゃないかと高城さんは考えているのかそうじゃないのか。その中で自分を保つ方法を模索して今の生き方をしてらっしゃるように思います。
kunioさんらしい、ご意見ありがとう!
返信削除誤解されることも多いけれど正直で才能のある人です。
色んなところで誤解されたり、
返信削除変な捉え方をされているところもあるけど・・・
高城さんって先を進んでいる感覚があって
あらゆるメディアに縛られている社会の中で・・・
メディアから自由になられている方なのかもしれないと想います。