2010年12月19日日曜日

スタンリー・キューブリックにより映画化された『時計じかけのオレンジ』の映画セットデザインを巡るキューブリックとアレン・ジョーンズの葛藤

小栗旬の主演舞台『時計じかけのオレンジ』が来年早々上演される。と聞いて、先日あらためてスタンリー・キューブリックの映画「時計じかけのオレンジ」DVD(1971)を見た。その映像の中で、どこかで見覚えがあると気づいたシーンは「Korovaミルクバー」を見た時だった。その映画セットのアイデアが「アレン・ジョーンズ」の1969年の名作「"Chair," "Table," and "Hatstand,"」にそっくりなのだ。この作品はフェミニストには悪名高いSMを思わせる、服従させられている女性は官能的な家具として制作されている。

キューブリックはジョーンズに、あまりにもテーマがぴったりだっただけに映画セットの制作依頼をしたのだが拒否されてしまった。しかし、キューブリックは諦めきれず、「悪名高いKorovaミルクバー」でそれらを模倣しようとした。しかしキューブリックのバージョンは、クレームが付かないように、ジョーンズの作ったオリジナル作品からフェチギアや小道具(クッション、ガラス卓上)を取り去り、白のヌードの女性で覆われた白単色の空間を作ったとされている。
"Chair," "Table," and "Hatstand,"
60年代が過ぎて行くなかで時代は著しい変化をとげる。ヒッピーからパンク、フューチャリズムからノーフューチャーの時代への変化、さらに映画界でも「暴力や性の描写」に寛大になっていった。このような時代に乗り遅れる気がしたのか?キューブリックは「時計仕掛けのオレンジ」の映画化を始めた。しかし、いくら暴力や性の描写に寛容になったとはいえ、この原作を読んだマルコム・マクダウェル(主人公役)でさえ「この話は異様すぎるよ」と言ったようにまだまだ衝撃的なストーリーであった。
"Chair," "Table," and "Hatstand,"
マルコム・マクドウェルは出世作『時計じかけのオレンジ』の感想を「アレックスを演じた後の10年間、実はあの役を嫌っていたんだ。人前であの映画を語ることさえも嫌だった。それは、人にいつもあの映画の話をされ、与えられた新しい映画でわたしが演じるキャラクターは、すべてアレックスをイメージして作られたものばかりだったからね。だが、今となっては自分もそれを受け入れて感謝しなければならないと思える。あの作品は誰がどう観たって傑作だからね」と語っている。
Korovaミルクバー
ストーリー『時計じかけのオレンジ』(A Clockwork Orange)は、スタンリー・キューブリックにより映画化されたイギリス映画で1971年公開。キューブリックの大胆さと繊細さが「悪の舞踊劇」ともいうべき美しい作品に昇華させている。映画も主人公は「マルコム・マクドウェル」演じる不良少年の一人称の物語であり、ロシア語と英語のスラングで組み合わされた「ナッドサット言葉」が使用されている。 管理された全体主義社会とのジレンマを描いた風刺的作品。人々は生活を賭けた労働から解放され、衣食住の心配をすることがなくなった世の中。15歳のアレックス少年は、「機械的」(Clockwork)に規則正しく過ぎてゆく毎日に退屈していた。完全に管理された未来社会で、あまりあるエネルギーをもてあそぶティーン・エイジャーが暴力やセックスなど、欲望の限りを尽くす荒廃した理由なき反抗を描いている。

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