2010年10月17日日曜日

田中健一さんが、大学の卒業制作で作成したムービー「Japan - The Strange Country」(約11分)、リサーチデータも丹念に調べ、グラフィックデザインも簡潔で、八つのカテゴリーに分けて編集し、実にシニカルに表現出来ている。




田中健一さんが、大学の卒業制作で作成したムービー「Japan - The Strange Country」(約11分)、リサーチデータも丹念に調べ、グラフィックデザインも簡潔で、八つのカテゴリーに分けて編集し、実にシニカルに表現出来ている。またナレーションの冷静さも心地よい。ハリウッド映画に出てくるような外から見る不思議な典型的日本人の行動は、多いに笑われてしまう。しかし、映画の中でデフォルメされていることを割り引いても日本国内では普通に良く見る典型的な日本人です。二つも典型という言葉を使ってしまいましたが典型(ステレオタイプ)こそ日本人を表しやすい言葉かもしれません。ケータイ、ロボット、トイレ、回転寿司と言ったハイテク製品の扱いも面白いです。時々外から日本を見るというのは必要なことですね。

以下の文章は、松岡正剛さんの「日本流」という本の一節です。日本の「他文化性」「複雑性」「非線形性」を一途の多様と書いています。沖縄にロックと三線とウタキが並立し、格闘技に空手とキックボクシングとプロレスが混じるという、そういう日本の多様が面白いのです。初詣とクリスマスとバレンタインデーがあることは混乱ではないし、インターネットで英語と日本語がちゃんぽんいなってしまっているのもいい。それらはたとえば北原白秋が「硝子」と「ぎやまん」を同時に使ったように、宮沢賢治が岩手の空の雲を「カルボン酸」と「交流電灯」で交ぜたように、面白いと思っているのです。

(田中健一さんの説明)
大学の卒業制作で制作した映像です。日本で生活していると、当たり前すぎて気づかない「不思議な事実」を、海外で生活した経験も生かし、外国人の視点から統計とともに映像化しました。笑いつつも、「なんか不思議だな」と考えてもらえれば幸いです。日本語版と英語版を制作しました。名古屋でデザインを勉強してます。

今回は桑原賞という賞も頂け、なにやら卒業式にはメダルや賞状をもらって首席での卒業になるらしい。全然そんなキャラじゃないし、大学の文句ばかり言ってるオレが貰うのは皮肉な感じもするけど、専攻を超えて、教授達に作品が認めてもらえた事は素直に嬉しい。
http://kenichi-design.blogspot.com/

3 件のコメント:

  1. 作品を拝見して感じたことを述べます。
    事実に即していると思います。然し、それから何か建設的提案が感じられないのが残念です。
    示された事はある程度意識のある日本人なら、詳細な数字は別にして知っていることばかりで建設的提案にかける事と相俟って、各単元の最後のことも単なる皮肉にしか聞こえてきませんでした。
    中国の森林が云々の所について言えば、中国の森林の伐採のうち、日本向けの割り箸はどれくらいの割合でそれが中国の砂漠化とどう関わっているかを考えた上で述べて欲しいものです。
    日本の海外からのミネラルウォーターの輸入のせいで途上国の人たちが下痢をしているのでしょうか?
    日本では食品の廃棄物は確かに多いのですが、それに対する風潮の変化はどのように把握されているのでしょうか。上のかなりな部分は穀物をガソリンの代わりに使用としたり、牛肉をたらふく食べるためにとうもろこしや小麦を消費している国はどういう風に見ているのでしょうか?
    私にはそのように感じられ、共感できませんでした。

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  2. 僕も拝見して疑問に思う点もありましたが、卒業制作でこのような作品を作るということが素晴らしいのではないでしょうか。
    グラフィックの格好よさや表現の面白さを優先してしまいがちな中で、鑑賞者に伝えたいことをシンプルに分かりやすいグラフィックで伝えられている(おそらくほぼ1人で考え実行しているのだと思いますが)ことはすごいことだと思います。
    制作者は卒業後多くの人と関わりながら仕事をしていくのだと思いますが、そこで色々な意見や知識を吸収して提案も含めたさらに良い作品や仕事をしてくれるのではないかと期待しています。

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  3. 確かに疑問点はいくつかあるが、デザイン性や表現のユーモアさを取り入れたセンス自体は素晴らしいと思います。
    前提としてコレを海外の人が作りっているのではなく、日本人が「あたかも海外の人向けに作ったようなデザインでありながら、実は同じ日本人に向けて作っている」という事を考えてみてください。
    そうすると、それぞれの示された事が違って見えてくるはずです。
    全ての中国の森林がどれほど日本向けの割り箸に使われている明確な割合や砂漠化の影響力などより、私達の割り箸が中国の砂漠化の一部でも全体でも関わっているのだというメッセージ性は強く感じます。
    「こういうことが原因で今こうなっている」までは必要だと思いますが、
    プレゼンテーションんではないので「なのでこういう行動を行いましょう」といった建設的提案は各自が自分で考えるべきことで、行動に起こすべき事だと考えます。
    それすらも作品に取り入れてしまうと見る人に考えさせるということを奪ってしまう事に繋がりかねません。

    日本人の私達は、知識として知っていても、実際は理解しておらず考えなしに物を消費しているのが現状です。
    経済的に豊かというのはそれだけで刃物や兵器と同じで、扱いを間違えれば他人を傷つけるものだと、いい加減理解しなくてはいけないのかもしれません。

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