現代アーティストの山口真人はアンディ・ウォーホルからストリートアーティストのKAWSまで。ポップアートの傑作を大胆にサンプリングし、独自のグラフィカルな感性でリミックスした作品。椎名林檎やAPOGEEといった数々の人気ミュージシャンのアートワークも手がけた。
「世界中の文化を模倣し、リミックスし、作り直す器」としての「東京」がテーマとなった今回の展覧会
『MADE IN TOKYO』。
渋谷系の代名詞である既存の音楽やグラフィックの引用に山口が見る「東京性」とは? 海外のカルチャーを巧みに再解釈して作品を作った渋谷系は、明治以降から長く続いてきた「東京という都市の文化の育まれ方」にも通じると思ったんです。(山口)
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山口真人『Dollar(MADE IN TOKYO)』2015年
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山口:いつも作品を作る際に自分のルーツを振り返るんですが、今回あらためてそれを考えたとき、1990年代に隆盛した「渋谷系」こそが、自分の中で大きな位置を占めていると気づきました。音楽で言えばフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴ、グラフィックで言えば、信藤さんの主宰されていたデザイン事務所に強烈な影響を受けた。
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山口真人『Skull(MADE IN TOKYO)』2015年
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こうした人たちは、海外のポップカルチャーを巧みに再解釈して作品を作ったわけですが、その表現のあり方は、明治以降から長く続いてきた「東京という都市の文化の育まれ方」にも通じるものだと思ったんです。『MADE IN TOKYO』という展覧会タイトルには、そんな思いが込められています。
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左:山口真人『jasper_johns.sample』2013年、右:山口真人『jeff_koons.sample』2013年
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山口:もちろんウォーホルたち自身にも、もともとサンプリング的な感覚がありますから、僕の作品もウォーホルたちへのオマージュを含んだ部分があると思うのですが、サンプリングや引用することへの興味を植えつけたのは渋谷系だったと思います。作品を作るとき、何かをゼロから作り出そうという考えがないんです。あるものを再解釈して新しい作品を作ることこそがクリエイティブだろう、と。
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山口真人『yayoi_kusama#2.sample』2013年
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信藤:個人のアイデンティティーの主張は表現に必要なのか、という話ですよね。「東アジア的」とまとめていいかわからないけど、少なくとも日本では、表現におけるアイデンティティーへの意識は希薄だったと言えると思います。
有名な歌の一節を引用する和歌の「本歌取り」など、西洋の感覚では「パクリ」と思われるようなことでも、日本では普通にやってきた。その日本的な文化観なり倫理観なりが、僕たちの中にも刷り込まれているのでしょう。
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山口真人『yayoi_kusama#2.sample』2013年
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山口:本歌取りから渋谷系まで、こう言って良ければ日本に特有の「パクリ」の表現史のようなものがある。しかも、その代表的なものが、渋谷系に代表される「東京の表現」だと思うんです。
信藤:結果として出すものは、かっこ良くなくちゃいけないんです。「今あるものは明日には滅びる」という感覚が奥底にあった。そもそもデザインは「かっこ良い」が「かっこ悪い」に取って代わる宿命を常に背負っているものでしょう。(信藤)
興味深いパートを要約抜き書きした。原文は下記のURLで
http://www.cinra.net/interview/201508-shindoyamaguchi
http://masatoyamaguchi.plastic.tokyo/index.html